第417話 2012/05/26

前期難波宮の「年輪年代」

 太宰府編年の小論を書き終わったので、今は難波宮考古学編年の勉強を続けています。先日も大阪市立歴史博物館に行き、二階の「なにわ塾」で発掘調査報告書を閲覧したり、同館学芸員の積山洋さんから難波宮編年についていろいろと教えていただきました。

 その積山さんから勧められて読んだのが、「難波宮趾の研究・第11」(大阪市文化財協会、2000・3)でした。難波宮の北西に位置する旧大阪市中央体育館跡地の発掘調査報告なのですが、そこから出土した前期難波宮時代の水利施設遺構について大変重要な報告が記載されていましたのでご紹介したいと思います。

 その遺構は谷から湧き出る水を通す石造の施設で、そこには大型の水溜め木枠が設置されており、その木枠の伐採年が年輪年代測定により634年であると記 されていました。そしてその石造遺構の下層と石を固定する客土に大量に含まれていた土器が、前期難波宮整地層に含まれている土器と同様式で、共に七世紀中葉と編年されています。従って、この水利施設は前期難波宮の造営時から使用され、宮内に井戸がなかった前期難波宮のためのものであることが判明しました。

 この年輪年代測定による伐採年(634)が明らかな木枠と、同じく難波宮北方から出土した「戊申年(648)」木簡は、長く論争が続いた前期難波宮の年代について、相対編年による土器様式と絶対年代を関連付ける貴重な資料となったようです。

 同報告には、「今回得られた年輪年代のデータや、『戊申年』銘木簡などの暦年代のいくつかの定点を併せて検討すれば、前期難波宮の造営期は7世紀中葉に 明確に位置づけることができるであろう。」(85頁)、「前期難波宮がいつつくられたのか、長年の論争に対しSG301(石造水利施設のこと:古賀)の No.1の年輪年代は、遺跡、遺構を解釈する上で貴重な年代情報となるであろう。」(208頁)と記されています。

 今回、わたしは大阪市立歴史博物館を訪れて、前期難波宮の編年を確定した水利施設遺構や木枠の年輪年代の存在について知ることができ、大変よい勉強になりました。

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