第651話 2014/01/26

「古田史学の会」誕生前夜

 「市民の古代研究会」理事会の中で少数派で孤軍奮闘していたわたしを支えていたのは、古田支持を明確にしていた関東支部と九州支部からの応援でした。しかし、状況を打開するために理事会や臨時会員総会を開催したものの、「市民の古代研究会」を古田支持の本来の姿に戻すことは絶望的と思われ、両支部は「市民の古代研究会」からの離脱の方向に進んでいました。藤田会長からは、関西と並んで多数の会員がいる関東支部の離脱だけは思いとどまらせるよう指示されていました。しかし、それはもはや不可能でした。反古田派の理事からも「事務局長として、関東と九州の離脱を止めろ」という何とも無責任で身勝手な電話もかかってきました。
 そして、関東支部からのただ一人の理事だった高田かつ子さん(故人)から一枚のファックスが届きました。それには、理事会が反古田派に牛耳られていることは明らかで、なまじ古賀さんが理事会に残ることにより、古田先生は講演に行かなければならず、「人寄せパンダ」として利用されるだけの古田先生のことを思うと胸がつぶれそうです、という高田さんの切々たる心情が吐露されていました。
 その夜、わたしは一晩中考え続けました。そして、「市民の古代研究会」を退会し、古田先生と古田史学を支持支援する新組織を創立することを決意しました。翌日、藤田会長に事務局長の辞任と退会の意志を告げ、行動を共にするよう要請し、一緒に新組織を創立することにしました。その後、関東支部と九州支部は「市民の古代研究会」を離脱し、「多元的古代研究会・関東」「多元的古代研究会・九州」として再出発されました。
 理事会を頂点とする「市民の古代研究会」という組織の中枢を反古田派に乗っ取られ、変質していく過程を内部から見てきたわたしは、責任を痛感し、自らの非力を悔やみ、何が間違っていたのか、どうすれば変質しない会にできるのかを「市民の古代研究会」退会後も考え続けました。(つづく)

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