第711話 2014/05/17

九州王朝の葬礼

 本日の関西例会で、正木さんから衝撃的な研究が発表されました。九州王朝の葬礼「貴人の殯(かりもがり)」と近畿天皇家の葬礼との比較研究です。
 『隋書』によれば九州王朝(倭国)の葬礼について次のように記しています。

「貴人は三年外で殯(かりもがり)し、庶人は日を卜(うらな)って葬る。」『隋書』イ妥国伝

 倭国では貴人(王族か)の葬礼においては直ちに埋葬せずに、外で三年(足かけなら2年)殯するとあります。ところが正木さんの調査によれば、『日本書紀』に記された7世紀(隋以降の時代)の天皇の殯の期間は短く、『隋書』の貴人への葬礼とされた3年間(足かけなら2年)行われた天皇は、なんと天武だけなのです(2年と61日。天智は葬儀記事が無く不明)。推古は195日、孝徳に至ってはわずかに58日間です。すなわち、天武以外の近畿天皇家の天皇は「貴人」ではなかったとされたのです。
 これまで古田学派では、少なくとも7世紀の近畿天皇家は九州王朝下の最有力豪族であり、九州王朝の天子に対する、ナンバー2としての「天皇」を名乗っていたと考えられてきました。しかし、今回の正木さんの研究によれば、近畿の天皇たちは貴人ではなかった、あるいは貴人にふさわしい殯はされなかったということになるのです。
 更に『日本書紀』の大化2年(646)の薄葬令は九州王朝の天子「利歌弥多弗利」の崩御に際して出された「命長7年(646)」の薄葬令とする見解も示されました。この点については、九州年号の「大化2年(696)」に出されたものではないかとする反対意見が水野代表や西村秀己さんから出されました。さらなる論争と研究が待たれます。
 5月例会の報告は次のとおりでした。わたしからは、「洛中洛外日記」709話で紹介した「石原家文書」の「大化~安政間の年数計算」史料のコピーを紹介し、解説しました。

〔5月度関西例会の内容〕
1). 汗人と九夷と孔子(木津川市・竹村順弘)
2). 船王後墓誌の整合性(八尾市・服部静尚、代読:竹村順弘)
3). 推古の二倍年暦の百歳(八尾市・服部静尚、代読:竹村順弘)
4). 『そんなバカな』を読んで(京都市・岡下英男)
5). 「三人の継体帝」と「いくつもの伊勢大神」(大阪市・西井健一郎)
6). 『三国志』の「自○以北」の用法(姫路市・野田利郎)
7). 『隋書』の「貴人の葬礼」記事と薄葬令の正体(川西市・正木裕)
8). 熊本県和水町「石原家文書」(大化~安政間の年数計算史料)の紹介(京都市・古賀達也)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(体調良好とのこと。ヨーロッパ古典の読み直しをされています。プラトン『国家論』、デカルト『方法序説』、他。10/04 松本深志高校で講演予定。)・会務報告・『伊豫史談』373号の合田洋一氏稿・帝塚山大学考古研市民大学講座視聴・黒田智著『藤原鎌足時空をかける・変身 と再生の日本史』・大和郡山市の大職冠鎌足神社訪問・放送大学TV「渡り鳥の旅を追う」・その他

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