第751話 2014/07/24

森郁夫著

『一瓦一説』を読む

 今朝の京都は祇園祭の山鉾巡行(後祭)のため、観光客が見物席の場所取りであふれていました。今年は山鉾巡行が二回になりましたので、観光収入は増えると思いますが、混雑でバスが遅れたりしますので、住んでいる者にはちょっと大変です。
 今日は愛知県一宮市に仕事で来ていますが、ちょうど「一宮七夕祭り」の日で、駅前はイベントで賑やかです。女子高生によるキーボード演奏などもあり、わ たしも若い頃にバンド活動をやっていましたので、生演奏には今でも興味をひかれます。わたしはリードギターを担当していましたが、主にスクウェアやカシオ ペアの曲を好んで演奏していました。30年ほど昔の話しです。

 さて、今回は森郁夫著の新刊『一瓦一説 瓦からみる日本古代史』(淡交社)をご紹介します。あとがきによると、森郁夫さんは昨年五月に亡くなられ たとのことで、同書は最後の著書のようです。古代の瓦についての解説がなされた本で、近畿天皇家一元史観にたったものですが、考古学的遺物という「モノ (瓦)」がテーマですので、考古学的史料事実と一元史観というイデオロギーとの齟齬が見られ、興味深い一冊です。
 なかでもわたしが注目したのが、飛鳥の川原寺の瓦と太宰府観世音寺の創建瓦についての関連を示した次の解説です。

 「川原寺の創建年代は、天智朝に入ってからということになる。建立の事情に関する直接の史料はないが、斉明天皇追善の意味があったものであろう。 そして、天皇の六年(667)三月に近江大津に都を遷しているので、それまでの数年間ということになる。このように、瓦の年代を決めるのには手間がかかる のである。
 この軒丸瓦の同笵品が筑紫観世音寺(福岡県太宰府市観世音寺)と近江崇福寺(滋賀県大津市滋賀里町)から出土している。観世音寺は斉明天皇追善のために 天智天皇によって発願されたものであり、造営工事のために朝廷から工人集団が派遣されたのであろう。」(93ページ)

 観世音寺の創建瓦(老司式)と川原寺や崇福寺の瓦に同笵品があるという指摘には驚きました。九州王朝の都の中心的寺院である観世音寺と近畿天皇家 の中枢の飛鳥にある川原寺、そしてわたしが九州王朝が遷都したと考えている近江京の中心的寺院の崇福寺、それぞれの瓦に同笵品があるという指摘が正しけれ ば、この考古学的出土事実を九州王朝説の立場から、どのように説明できるでしょうか。
 しかもそれら寺院の建立年代は、川原寺(662~667)、崇福寺(661~667頃)、観世音寺(670、白鳳10年)と推定されていますから、観世 音寺のほうがやや遅れるのです。この創建瓦同笵品問題は、7世紀後半における九州王朝と近畿天皇家の関係を考える上で重要な問題を含んでいるようです。(つづく)

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