第904話 2015/03/21

「田身嶺・多武嶺」

  大野城説の衝撃

 本日の関西例会でも「大化改新詔」に関する論戦が続きました。論戦も佳境に入り、合意点や相違点も明確になりつつあり、学問的成果も続出しており、とても良い学問論争となっています。
 この他にも、服部静尚さんから河内の考古学的成果から、7世紀中頃の河内地方に人工増加のピークが発生していることを紹介され、前期難波宮の造営(九州王朝の進出)と律令制発布(条里制の施行など)の反映ではないかとされました。興味深い考古学的出土事実だと思います。
 正木裕さんからは『日本書紀』斉明紀2年条(656年、九州年号の白雉5年)に見える「田身嶺に冠しむるに周れる垣を以てす。復た嶺の上の両の槻の樹の辺に観(楼閣・たかどの)を起つ。号(なづ)けて両槻宮とす。亦は天宮と曰ふ。」の「田身嶺」を太宰府の北側にある大野城のこととする新説が発表されました。同記事中の「冠」に着目され、これを大野城の尾根筋に冠状に沿う全長約8kmの石垣や土塁のこととされました。大野城には石垣の他にも70棟以上の礎石建物、8箇所の城門(2階建て楼門)、水場が設けられています。これらは『日本書紀』の記事と一致していますし、何よりも大和にはこのような巨大山城はありませんので、大変有力な新説です。
 3月例会の発表は次の通りでした。

〔3月度関西例会の内容〕
①「海東鏡」(京都市・岡下英男)
②古代中国資料の考証について(奈良市・出野正)
③「古代海部氏の系図」の紹介(東大阪市・萩野秀公)
④七世紀 -九州王朝の河内支配と律令制施行(八尾市・服部静尚)
 1.七世紀の河内における考古学の成果
 2,孝徳期の律令(藤原宮での改新詔発布説は成り立たない)
 3,九州年号大化・白雉の盗用の背景
⑤『書紀』の「田身嶺・多武嶺」と大野城(川西市・正木裕)
⑥大化年号は何故移されたか -皇太子奏請記事の真実-(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(健康状態は元気で研究も進展されている。『古代史をひらく -独創の13の扉』復刊。『百問百答』の新刊初校段階)・古田先生購入依頼書籍(安本美典『邪馬一国はなかった』徳間文庫)・長岡京領域ハイキング・テレビ視聴(「難波津から斑鳩への道」安村俊史柏原歴史資料館館長、「聖徳太子と斑鳩」平田政彦斑鳩町教委)・「九州倭国通信」の紹介・その他

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