第1127話 2016/01/23

百済王亡命地が南郷村の理由

 1126話で韓国南部と宮崎県に前「三角錐」後円墳が存在していることを述べましたが、これが偶然ではなく両地域の被葬者に深い関係があるのではないかと考えています。
 宮崎県の前「三角錐」後円墳が分布する西都市の近隣に百済王伝説で有名な南郷村があります。白村江戦などで滅亡した百済王族が南郷村まで漂着逃亡したという伝承ですが、なぜ亡命地に宮崎県が選ばれた理由がわたしにはわかりませんでした。唐軍による追跡から逃れるのであれば、多くの百済亡命人が逃げた摂津難波や近江などの遠隔地こそ相応しいと思われるのですが、ところが宮崎県南郷村を百済王族が亡命地に選んだ理由が不明だったのです。
 この疑問を解く鍵が両地域(韓国南部と宮崎県)に共通して存在する前「三角錐」後円墳ではないでしょうか。すなわち、韓国南部(百済)で前「三角錐」後円墳を造営した倭国の豪族と宮崎県西都市に前「三角錐」後円墳を造営した勢力は深い関係を持っていたと考えると、亡命百済王族はその勢力の庇護のもとに南郷村に亡命したとする仮説が成立すると思われるのです。

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