第1435話 2017/06/28

「古田史学の会」会則の思い出

 過日の「古田史学の会」会員総会で会則の一部変更を承認していただきました。古田先生ご逝去に伴う最小限の変更で、「第二章 目的」は次のようになりました。

〔旧〕本会は、古田武彦氏の研究活動を支援し、旧来の一元通念を否定した氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする。

〔新〕本会は、旧来の一元通念を否定した古田武彦氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする。

 総会では目的に古田史学の方法論や古田説を具体的に書き加えてはどうかとするご意見も出されましたが、この会則を大きく変更する必要はなく、逆に大きく変更するとその説明と論議がこの会則のもとに入会された全会員間で必要となることもあり、最小限に留めました。
 この会則は「古田史学の会」創設後に古田先生や中小路駿逸先生ともご相談し、ご了解を得たうえで決められたものであり、わたしとしては基本的に変更する必要性はないと考えています。
 会則決定のことを『古田史学会報』9号(1995年9月25日)の編集後記に次のようにわたしは記しました。

▽初めての会員総会で、無事会則採択され、喜んでいます。同会則は会の将来に無用な混乱や道を誤らないようにする為に中小路駿逸先生の御助言をいただきながら作ったものです。今後は「細則」により、詳細についても整備していきたいと考えています。

 ここでいう中小路先生のご意見は、『古田史学会報』8号(1995年8月25日)にご寄稿いただいた次の論稿に記されています。全文はHP「新古代学の扉」に収録していますので、ぜひお読みいただければと思います。

『古田史学会報』8号より部分転載

古田史学の会のために
            中小路駿逸

(前略)
 古田武彦氏の言説に強烈な関心を(思わくはいろいろ違っても)持つ人々が集まってできた(と私は思っているのだが)いくつかの会のなかの「市民の古代研究会」という会が、別れるの別れないのとゴタゴタしていたとき、私は「旗印をハッキリと」と「市民の古代ニュース(一二六号)」に書いた。古田氏の言説が「近畿大和なる天皇家の王権は、七世紀よりも前から日本列島内で唯一の卓越して尊貴な中心的権力であった」という「一元通念」を学理上「非」なりとしている一点(この一点で古田説は通念に対して決定的に勝ったのである)に、同意するか、明言せずに伏せるか、ハッキリしなさい、という趣旨を述べたものであった。ゴタゴタの原因の肝心カナメのカンどころはここにあり、ここが分かれ目となって会は少なくとも二つのグループに分かれると見、この「ことのスジミチ」が後世にハッキリわかるような記録を、シッカリ残しておきたいと思ったからである。
 私が「古田武彦氏についていくか、いかないか」とか「古田氏の学問のどこに、どういう意味で関心を持つか、持たないか」などで分けようとしなかったのはなぜか、おわかりであろう。そんな「対古田学態度」などで分けようとしたら最後、答は千差万別 、千変万化、あらゆる言い抜けが可能となって分類は無意味となり、何よりも、肝心カナメのカンどころ、「一元通念」を「論証を経ざるもの」とした古田氏の指摘、日本古代史の研究史のなかで古田氏の学の位置を決定した理論上の「定礎」を「是」なりと明言するかしないかという、大事の一点が棚上げされ、覆われ、隠され、忘れられてしまい、結果は「学理上無効な一元通念が無期限に安泰」となること、明白だからである。「一元通念」を「非」とするか。この件を伏せて言わないか。この規準が明晰かつ有効であることを私は確信していた。この規準を用いれば、ありとあらゆる錯乱(無知、ウソ、ゴマカシ、スリカエ、だまし、そういうのをすべて含め、一括して「錯乱」と言っておく。こういうものをこまかく詮索して分類したってしかたがあるまい。)が、ゴタゴタの前後にわたってみずからの正体を自主的にさらけだして記録に残すこと、明らかだからである。
 (中略)
 この「名分に関する、信仰を含む宣言」を「史実宣言」へと横滑りさせ、この「名分」に合うように歴史のワク組みを構想した「錯乱」の所産が「一元通 念」なのだった。--私は今、そう考えているのである。古田氏の指摘はこの「錯乱」を非なりとし、その裏づけを提示した私も、同様これを非とし、歴史像を通念型から古代の文献の示しているものに返せ、と要求している。たとえこの通念が数百年、あるいは千年余、日本人の心を規制し、文化の深部に根付いているように思われていようとも、より深い基層にあるものが真実ならば、そこに復帰して当然ではないか。「一元通念を非とする。」--この一句に私が固執する意味がおわかり願えようか。日本の文化が、精神が、ほんとに確かな基礎に立ったものになれるかなれないか、その分かれ目がこの一句にある。私はそう思っているのである。
  「古田史学の会」の会則案には、この肝要の一句が入っているようである。この一句が会の総会で承認されるか否かを、はるかな過去からの歴史と、これから歴史として形成されるのを待つ、限り知られぬ未来とが、深い関心をこめたまなざしをもって見守っているのである。
 (なかこうじしゅんいつ・追手門学院大学教授)

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