第1487話 2017/08/25

7世紀の王宮造営基準尺(3)

 7世紀頃の王都王宮の遺構の設計基準尺について、最も信頼性が高い数値が藤原宮の基準尺(1尺29.5cm)です。一寸刻みの目盛りを持つ物差しが出土したことと、遺構の設計数値がその物差しと一致していることにより、その信頼性が得られました。その物差しと設計基準尺について、木下正史著『藤原京 よみがえる日本最古の都城』(中公新書、2003年)には次のように紹介されています。

 「藤原宮からは一寸ごとに印をつけた一尺(復元長29.5センチ)の木製物差しが出土している。長距離の測定や割り付けには間縄(けんなわ)なども使用されたはずである。道路間の距離や大垣の柱位置の割り付けなどから復元できる物差しも、一尺の長さが29.5センチとほぼ一定しており、きわめて精度の高いものであった。」(84ページ)

 藤原宮は出土干支木簡の年代から680年頃から造営が始まったことが判明しており、当時の近畿天皇家(天武期)の公式な基準尺が1尺29.5cmであることがわかります。
 前期難波宮(652年)が1尺29.2cm、大宰府政庁Ⅱ期、観世音寺(670年頃)が1尺約29.6〜29.8cmであることから、7世紀において、基準尺が少しずつ大きくなっているようです。この変化がどのような理由によって起こったのかはまだわかりませんが、九州王朝(倭国)から近畿天皇家(日本国)への王朝交代期に何らかの事情により、基準尺にも変化が生じたのではないでしょうか。(つづく)

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