第1637話 2018/03/31

『発見された倭京 太宰府都城と官道』

  書評(4)

 『発見された倭京 太宰府都城と官道』には特集以外の一般論文も収録しています。特集テーマではないが、『古田史学会報』等に掲載された論文のうち、書籍として後世に残し、広く読者や研究者に紹介するべきものと編集部が判断した次の論文です。

【一般論文】
倭国(九州)年号建元を考える 西村秀己
前期難波宮の築造準備について 正木 裕
古代の都城 宮域に官僚約八千人 服部静尚
太宰府「戸籍」木簡の考察 付・飛鳥出土木簡の考察 古賀達也
【フォーラム】
九州王朝の勢力範囲 服部静尚

 これらの論文の中でも、西村稿「倭国(九州)年号建元を考える」と服部稿「古代の都城 宮域に官僚約八千人」はその進歩性において際だっていたので、採用を決めました。
 西村稿は、最初の九州年号を「継躰」とする『二中歴』の「善記」年号の細注記事「善記以前武烈即位」を根拠に、九州年号の建元は「善記」であり、そのとき「継躰」を遡って追号したとするものです。論理性にのみ支えられたといっても過言ではない論証方法であり、わたしとしてはそこまで言い切ってよいものかと、結論には直ちに賛成できませんでしたが、なぜ『二中歴』以外の九州年号史料に「継躰」がないのかという疑問への一つの「回答」であることを評価しました。更に九州年号原型論にとどまらず、九州王朝(倭国)がどの時点でどのような事情により中国南朝の冊封体制から離れ、自らの年号を建元したのかという研究分野においても、新たな展開を期待させる学問上の進歩性を有した論文です。
 服部稿は七世紀における九州王朝の都城論において、律令国家としての九州王朝(倭国)の首都の行政規模を具体的に計算し、八千人の官僚群が必要であることを明らかにしたものです。従って、服部論文以後の九州王朝都城論はこの大量の官僚群の収容が可能かどうかを無視して論じることができなくなりました。その意味で古田学派の都城研究の学問水準を引き上げるという業績を有しており、学問研究に寄与するという進歩性が明確です。
 このように、編集部では論文の採用選考において、その論文が持つ新規性と進歩性を重要な判断基準の一つとしています。(おわり)

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