2018年09月01日一覧

第1739話 2018/09/01

『発見された倭京』東京講演会レポート

 今日は東京家政学院大学(千代田三番町キャンパス)にて、『発見された倭京』出版記念東京講演会を開催しました。約80名の聴講者を前に、山田春廣さん・肥沼孝治さん・正木裕さんが講演されました。いずれの講演も九州王朝説に基づく最新の研究成果であり、初めて聞くテーマもあり意義深いものでした。司会は冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人、相模原市)。わたしは冒頭に主催者挨拶をさせていただきました。
 肥沼さんは冒頭にマジックをご披露され、一気に会場を和ませる手腕は流石です。講演では、7世紀中頃に九州王朝により造営された古代官道や建物遺構が当初は中国南朝の影響を受けて南北方位が東偏していることなど、武蔵国分寺遺構や府中市の古代遺構の方位を具体例として説明され、わかりやすいものでした。
 肥沼さんの報告を受けて、山田さんは九州王朝官道の全体像やその性格(軍管区)を西村仮説(西村秀己「五畿七道の謎」『発見された倭京』)をガイドラインとして展開されました。中でも大和朝廷による「山陰道・北陸道」を九州王朝の「北陸道」とする仮説を更に発展させ、ある時期にはその「北陸道」が「北海道」であったとされました。更にそのことから日本海の南側は「北海」と呼ばれていたとされ、その史料根拠も提示されました。この一連の仮説の進化と論理性にはとても驚かされました。ぜひ、関西でも講演していただきたいと思いました。
 正木さんからは関西でも好評を博したテーマ「大宰府に来たペルシャの姫 — 薩摩に帰ったチクシ(九州王朝)の姫」が講演され、東京でも好評でした。
 講演会終了後は講師を囲んで、東京古田会と多元的古代研究会の役員の皆さんと懇親会を持ち、古田史学を継承する三団体の親睦を深めました。遠くは信州から参加された吉村さんや関東の皆さんに御礼申し上げます。


第1738話 2018/09/01

「船王後墓誌」の宮殿名(2)

 今朝は東京に向かう新幹線車中でこの「洛中洛外日記」を書いています。午後から東京家政学院大学のキャンパスで開催する『発見された倭京』出版記念講演会に出席するためです。
 車窓の外は雨空が続いていますので、東京のお天気がちょっと心配です。参加者が少なく講演会収支が赤字になると「古田史学の会」から補填することとなり、会計担当の西村秀己さん(全国世話人、高松市)からお叱りを受けるからです。もっとも、この厳しい「金庫番」のおかげで、「古田史学の会」財政の健全性が保たれています。

 さて、「船王後墓誌」の宮殿名や天皇名に関する古田説に対して、最初に鋭い指摘をされたのは正木裕さん(古田史学の会・事務局長、川西市)でした。それは、墓誌に記された「阿須迦天皇之末歳次辛丑」の阿須迦天皇の末年とされる辛丑年(641)やその翌年に九州年号は改元されておらず、この阿須迦天皇を九州王朝の天皇(天子)とすることは無理というものでした。
 641年は九州年号の命長二年(641)に当たり、命長は更に七年(646)まで続き、その翌年に常色元年(647)と改元されています。九州王朝の天子が崩御して九州年号が改元されないはずはありませんから、この阿須迦天皇を九州王朝の天子(天皇)とすることはできないと正木さんは気づかれたのです。
 この正木さんの指摘を古田先生にお伝えしたところ、しばらく問答が続き、「阿須迦天皇の在位期間が長ければ『末』とあってもそれは最後の一年のことではなく、後半の数年間を指すと解釈できる」と結論づけられました。その解釈が次の文章となったわけです。

 〝(五)しかも、当、船王後が「六四一」の十二月三日没なのに、舒明天皇は「同年十月九日の崩」であるから、当銘文の表記、
 「阿須迦天皇の末、歳次辛丑十二月三日庚寅に殯亡しき。」と“合致”しない(この点、西村秀己氏の指摘)。〟
 〝(七)「阿須迦天皇の末」という表記から見ると、当天皇の「治世年代」は“永かった”と見られるが、舒明天皇の「治世」は十二年間である。〟

 古田先生の論稿ではこの順番で論理を展開されていますが、当初、わたしとの問答では(七)の「解釈」がまずあって、その後に西村さんの意見(五)を取り入れて自説を補強されたのでした。しかし、それでもこの古田説は成立困難と、わたしは古田先生や西村さんに反対意見を述べました。(つづく)


第1751話 2018/09/15

9月26日(水)合田洋一さん講演会の案内済み

 「古田史学の会・四国」事務局長の合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人)が講演されますのでご案内します。
 愛媛県朝倉町(朝倉公民館)での歴史文化講演会(平成30年度「第一回歴史文化教養講座」)で、「『葬られた驚愕の古代史』-越智国に‘九州王朝の首都’紫宸殿ありや-」というテーマで講演されます。
 日時は平成30年9月26日(水)午後1:30からです。詳細は「古田史学の会」HP「新古代学の扉」に掲載していますので、ご参照ください。お問い合わせは朝倉地域教育課(tel.0898-56-2024)まで。入場無料です。

 合田さんはこれまでの研究の集大成ともいうべき著書『葬られた驚愕の古代史』を本年上梓されました。同書の項目もHP「新古代学の扉」に紹介されています。古代の愛媛県には九州王朝配下の有力豪族による越智国があったことを論じたものです。合田さんの研究により四国の多元的古代史研究は飛躍的に発展しました。
 中でも最大の成果は、伊予に来たのは近畿天皇家の「聖徳太子」ではなく、九州王朝の天子〝多利思北孤〟であり、当地にあった著名な金石文「伊予温湯碑」の碑文に記されているのは道後温泉のことではなく、西条地方にあった神井から湧き出る水のこととする画期的な説も発表されました。更には伊予に九州王朝の「紫宸殿」があったとする最新の持論も展開されます。伊予の古代史に関心のある皆さんにお勧めの講演会です。
 なお、『葬られた驚愕の古代史』の書評執筆をわたしは進めています(『古田史学会報』に掲載予定)。同書を再読三読中です。

今治市朝倉歴史文化講演会

期日 2018年 9月26日(水)
午後1時30分~
場所

於:今治市朝倉公民館
2階大会議室
〒799-1604 愛媛県今治市朝倉北甲393

参加される方は、事前に交通機関で経路をお調べ下さい。
場所の問合せのみに願います。

問合せ先
朝倉地域教育課
0898−56−2024

 

講演

『葬られた驚愕の古代史』
— 越智国に“九州王朝の首都”紫宸殿ありや

講師:合田洋一
古田史学の会全国世話人、多元的古代研究会会員

 

参加費

 

入場無料