第1798話 2018/12/05

「須恵器坏B」の編年再検討について(3)

 著書『京(みやこ)から出土する土器の編年的研究 -日本律令的土器様式の成立と展開、7〜19世紀-』において天武期造営説を提起された小森俊寬さんですが、そこに前期難波宮整地層出土として紹介された須恵器坏Bにわたしは強く関心を抱き、その出典を調査しました。それらは次の報告書とされ、幸いにも大阪歴博の図書室(なにわ歴史塾)にてすべて閲覧することができました(同館担当者の方が親身になって出典を探してくださいました。有り難いことです)。

『難波宮址の研究』昭和36年大阪市教育委員会1961年
『難波宮址の研究』昭和40年大阪市教育委員会1965年
『難波宮址の研究 第七』大阪市文化財協会1981年
『難波宮址の研究 第八』大阪市文化財協会1984年

 収録された図版を中心に調査したのですが、なかなか問題の坏Bが見つかりませんでした。ようやく見つけたのが『難波宮址の研究』(昭和36年大阪市教育委員会1961年)にあった「実測図第十一 整地層下並竪穴内出土遺物実測図(Ⅱ)」の「Ⅱ層(難波宮整地層)出土」と解説されている1個の坏B「35」でした。高台(脚)があり、底部が丸みを帯びている比較的初期の須恵器坏Bでした。念のため、大阪歴博学芸員の寺井誠さん(土器の専門家)にも見ていただいたところ、間違いなく坏Bであり、比較的古いもので奈良時代までは下らないとのことでした。
 この出土事実が正確であれば、先に説明したように7世紀中頃造営の前期難波宮整地層から出土したことになり、これまで7世紀後半の指標土器とされてきた須恵器坏Bの発生時期の見直しが必要となります。もし、坏Bの発生時期が7世紀中頃以前にまで遡ることになれば、坏B出土を根拠に7世紀後半以後と編年されてきた諸遺構の見直しも必要となる可能性があります。(つづく)

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