第1806話 2018/12/20

桂米團治師匠の還暦お祝いパーティー

 今日は大阪中之島のホテルで開催された桂米團治師匠の還暦お祝いパーティーに出席しました。噺家生活40周年のお祝いも兼ねており、とても華やかで楽しい宴でした。わたしは「古田史学の会」代表としてご案内いただいたものです。
 わたしと米團治さんのお付き合いの始まりは古代史が縁でした。上方落語の舞台としても登場する四天王寺について、地名は天王寺なのにお寺の名前は四天王寺ということを予てから不思議に思っておられた米團治さんが、「古田史学の会」HPでこの問題に触れていた「洛中洛外日記」を読まれ、わたしの名前と説(四天王寺は元々は天王寺だった)を御自身のオフィシャルブログに掲載されたのがきっかけでした。
 偶然、米團治さんのそのブログの記事がネット検索でヒットし、わたしは米團治さんの好意的な紹介を読み、お礼の手紙を出しました。その数日後に米團治さんからお電話をいただき、お付き合いが始まりました。始めてお会いし、京都ホテルオークラのレストランで食事をご一緒させていただいたのですが、もちろん話題は古代史、中でも古田説でした。米團治さんは古田先生の著作もよく読んでおられ驚いたのですが、そのときに米團治さんのラジオ番組(「本日、米團治日和り。」KBS京都放送)に古田先生に出演してもらえないだろうかと相談を受けました。先生はご高齢なのでテンポの速いラジオのトーク番組は無理ではないかと言ったところ、「古賀さんも一緒に出ていただき、先生をサポートするということでどうですか」とのことでしたので、古田先生と二人で米團治さんの番組に出ることになったものです。このときの内容を『古田武彦は死なず』(古田史学の会編、明石書店)に収録しましたのでご覧ください。
 収録は2015年8月に2時間にわたって行われ、9月に三週にわたってオンエアされました。そしてその翌10月の14日に古田先生は亡くなられました。米團治さんのラジオ番組が古田先生最後の公の場となりました。ですから、米團治さんには不思議なご縁をいただいたものと感謝しています。
 四〇〇名以上の来客による華やかな還暦パーティーでしたが、来賓のご挨拶などから、今年から米朝事務所の社長に就任された米團治さんのご苦労も忍ばれました。パーティーの様子はわたしのFACEBOOKに写真を掲載していますので、ご覧ください。テレビでしか拝見したことのない有名人もたくさん見えられていました。それは米團治さんの人望の高さや人脈の広さを感じさせるものでした。何よりも米團治さんが大勢の来客の中からわたしを見つけられ、ご挨拶いただいたことにも感激した一夕でした。

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