第2158話 2020/05/23

倭人伝「南至邪馬壹国女王之所都」の異論異説(7)

 『三国志』(中華書局本)に見える「都」には動詞と名詞、そして「全て」の意味を持つ用例がありました。特に三国時代(後漢末期)の遷都記事に関わるものとして、190年の「長安」遷都関連記事(1)(7)(25)、196年の「許」遷都関連記事(2)(3)(4)(6)(10)(11)、呉の遷都記事(26)(27)(30)(31)(30)(39)(41)(42)(43)(45)(46)(47)があり、いずれも「みやこする」(文語的表現)「みやことする」(口語的表現)と訓むのが妥当と思われます。
 他方、注目すべきは倭国と高句麗の次の「都」関連記事です。

(17)「儉遂束馬縣車、以登丸都、屠句麗所都、斬獲首虜以數千」「刊丸都之山」魏書毋丘儉(カンキュウケン)伝(三 762頁)
(20)「南至邪馬壹国、女王之所都、水行十日陸行一月」魏書倭人伝(三 855頁)

 共に「所都」という表記で、丸都が高句麗の都であること、邪馬壹国が女王の都であることを説明する文脈で使用されており、「都」を動詞とする「みやこする所」「みやことする所」の訓みが最も適切で、記事の意味を的確に表しています。なお、倭人伝(20)には「女王之所都」と「之」の字があり、毋丘儉伝(17)「屠句麗所都」にはありません。この差異により文意にどのような影響が出るのか、今のところよくわかりません。(つづく)

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