2021年08月17日一覧

第2541話 2021/08/17

九州王朝(倭国)の仏典受容史 (17)

 ―九州年号「継体」の非「仏典」的性格―

 中断していた九州年号の出典調査を再開しました。今回は「継体」(517~521年)です。現存する最古の九州年号群史料として著名な『二中歴』「年代歴」に見える最初の九州年号が「継体」です。その他の九州年号群史料に「継体」はなく、その次の「善記」(522~525年)を最初の年号としています。
 これらの史料状況から、最初の九州年号が「継体」か「善記」かで、古田学派内では諸説が出されていました(注①)。古田先生やわたしは九州年号研究の結論として、『二中歴』「年代歴」が持つ史料的な信頼性、「継体」という天皇諡号が「九州年号」として誤って追加されることは考えにくいという論理性を重視し、「継体」を最初の九州年号とする見解に落ち着きました(注②)。しかし、それではなぜ他の九州年号史料に「継体」は見えず、「善記」を「年号の始め」とする記事が散見するのかという、うまく説明できない問題がありました。
 そのような研究状況にあって、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)から、「継体」は九州年号「善記」建元時において、過去に遡って追号された年号とする仮説を発表されました(注③)。こうした研究を背景にして仏典調査を行ったところ、『大正新脩大蔵経』検索サイト(注④)でヒットした「継体」は全て七世紀から中世に成立した次の仏典でした。すなわち、いずれも「継体」(517~521年)年号よりも後代のもので、出典として適切なものではありません。

【「継体」が見える仏典】
○『辯正論』唐の法琳の著。 高祖の武徳九年(626年)の撰。八巻十二篇。
○『大唐西域記』唐僧玄奘がインド周辺の見聞を口述し、弟子の弁機がそれを筆録したもの。貞観二十年(646年)の成立。全12巻。
○『北山録』唐の神清(霊庾と号す)の撰。元和元年(806年)に成立。
○『佛祖統紀』南宋の僧志磐が咸淳五年(1269年)に撰した仏教史書。全54巻。
○『海東高僧傳』朝鮮、古代三国の高僧の伝記を集めた書。高麗の覚訓撰。高宗二年(1215年)に撰述。
○『演義抄』湛叡(1271-1346年)による。
○『五教章通路記』鎌倉時代後期の東大寺の学僧、凝然(1240-1321年)による。
○『佛祖歴代通載』古代より元統元年(1333年)に及ぶ仏教編年史書。撰者は元代の梅屋念常。全22巻。
○『夢窓正覺心宗普濟國師語綠』夢窻疎石は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。

 以上の史料状況によれば、「継体」は非「仏典」的な年号であり、仏典の影響を色濃く受けた「善記」以降六世紀の九州年号とは異なり、仏典を出典としない異質な年号のようなのです。このことが西村説と整合するのか、あるいは「継体」は九州年号ではなく誤伝の類いとする説の根拠となるのか、検証のための新視点になるのではないでしょうか。(つづく)

(注)
①丸山晋司「古代逸年号“『二中歴』原形論”批判」『古代逸年号の謎 ―古写本「九州年号」の原像を求めて』(株式会社アイ・ピー・シー刊、1992年)は「継体」を九州年号ではなく誤伝とする。
②古田武彦『失われた九州王朝』朝日文庫版「補章 九州王朝の検証」(朝日新聞社、1993年)にて、『二中歴』の九州年号が原型であることの説明がなされている。
 古賀達也「洛中洛外日記」349話(2011/11/15)〝九州年号の史料批判(4)〟
 古賀達也「九州年号の史料批判 ―『二中歴』九州年号原型論と学問の方法―」『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(『古代に真実を求めて』20集)明石書店、2017年。
 古賀達也「九州王朝の建元は『継体』か『善記』か」『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(『古代に真実を求めて』20集)明石書店、2017年。
③西村秀己「倭国(九州)年号建元を考える」『古田史学会報』139号2017年4月。
④SAT大蔵経テキストデータベース研究会 https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/master30.php