2021年10月27日一覧

第2604話 2021/10/27

大隅国、台明寺「青葉の笛」伝承

 美濃晋平さんから頂いた著書『笛の文化史』(注①)に、九州王朝に関係すると思われる、大隅国の台明寺の「青葉の笛」伝承が詳述されています。台明寺は明治の廃仏毀釈により廃寺になっていますが、その地にある日枝神社の解説が鹿児島県神社庁のサイトに掲載されており、台明寺の「青葉の笛」伝承に触れられていますので、関係部分を転載します。

【以下、転載】
神社名 日枝神社(ヒエジンジャ)
鎮座地 〒899-4302 霧島市国分台明寺1103
例祭日 十月十五日
御祭神 大山咋命(オオヤマクイノミコト) 大己貴命(オオナムチノミコト)
〔由緒〕
 往古、日吉山王神社と称し、群田川の上流の谷間に鎮座して台明寺一山を守護する尊社であった。台明寺は白鳳元年の創建で、三十八代天智天皇の御勅願所の地と古史にあり、また将軍家の文書数百通が同寺に格納されていたと伝えられる。島津氏の崇敬も厚く、牧場増殖を祈願されたことが鹿児島県畜産史にみえる。
 社殿は、拝殿と本殿が中心線からずれており、造営時期の違いを示している。本殿の造営は、細部の装飾等より十九世紀初頭のものといわれ、柱間約一メートルの七間二間で、形式としては珍しく貴重なものである。
 境内の青葉竹は俗に台明竹ともいい、笛の用材として宮中に貢納されていた。貢納する時は府中の鏡ヶ池に浸し、葉の付いたまま姫城の妙見神社(今の稲荷神社)にお供えしてから奉納したといわれる。天智天皇から楠の木板に笛像を刻して御下賜があったことや、源平合戦の一ノ谷で敗れた平敦盛が秘蔵していた笛もこの台明竹であったこと等が伝えられている。今でも自生しており、「青葉の竹」と呼ばれて市の文化財になっている。(昭和五十八年八月十五日指定)
【転載終わり】

 鎮座地の霧島市国分は大隅国の国府があった場所で、その北東の山間部に日枝神社があります。「台明寺は白鳳元年の創建で、三十八代天智天皇の御勅願所の地と古史にあり」とあるように、九州年号「白鳳元年」創建や天智天皇勅願寺伝承と重ねて、寺域に自生する笛の材料に適した「青葉の竹」を天皇家に奉納していたと伝えています。
 創建は九州王朝の時代の「白鳳元年」(661年)であり、「天皇」の勅願寺で、当時から笛の材料(青葉の竹)を朝貢していたことが史実であれば、それは天智天皇や近畿天皇家ではなく、九州王朝に置き換えて同伝承を捉えるべきと思われます。他に九州王朝の天子と笛に関わる伝承の存在を知りませんので、この台明寺の伝承は貴重です。
 なお、九州王朝に嫁いだ薩摩の大宮姫伝承については、わたしや正木裕さんの研究(注②)がありますので、台明寺伝承との関係も検討する必要がありそうです。また、多くの台明寺文書が遺されていますので、その全容も調査確認したいと思います。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」2597話(2021/10/18)〝美濃晋平『笛の文化史(古代・中世) エッセイ・論考集』を読む〟
②古賀達也「最後の九州王朝 ―鹿児島県『大宮姫伝説』の分析―」『市民の古代』10集、新泉社、1988年。
 正木 裕「大宮姫と倭姫王・薩摩比売」『倭国古伝 ―姫と英雄と神々の古代史― 』(『古代に真実を求めて』第22集)明石書店、2019年。
参照よみがえる古伝承 大宮姫と倭姫王・薩摩比売(その3)正木裕
(古田史学会報会報145号)