第1865話 2019/03/29

『法隆寺縁起』に記された奉納品の不思議(2)

 天平十九年(747)に成立した『法隆寺縁起并流記資財帳』によれば、次のような法隆寺へ献納物が奉納日・奉納者と共に記されています。

 「丈六分銀多羅弐口〔一口重九斤 一口九斤二分〕
 右天平八年歳次丙子二月廿二日納賜平城宮
 皇后宮者」(『寧楽遺文』による。〔〕内は細注)

を筆頭に、「白銅鏡肆面」「香肆種」「白筥二合」「革箱肆号」が施入されています。
 『法隆寺縁起』によれば、光明皇后からの施入が際立って多いのですが、異父姉無漏王も同日に白銅鏡一面を「丈六分」として施入しています。この「丈六」とは丈六の仏像である釈迦三尊像のことと思われますから、ときの大和朝廷の光明皇后らが、九州から発生した伝染病の脅威を沈めるために、九州王朝の天子・多利思北孤の命日「二月廿二日」に、斑鳩に移築した九州王朝の多利思北孤を模した釈迦三尊像を本尊とする「法隆寺」に献納品を施入しているのです。
 この史料事実から、法隆寺を九州王朝の天子・多利思北孤鎮魂のための寺院とする仮説をわたしは発表したことがあります(「九州王朝鎮魂の寺 -法隆寺天平八年二月二二日法会の真実-」、『古代に真実を求めて』第十五集所収、2012.3)。このことを来月十九日開催(奈良県立情報図書館、古代大和史研究会主催・原幸子代表)の講演会で紹介しようと、『法隆寺縁起并流記資財帳』を読み直していたのですが、そこに不思議な記事があることに気づきました。(つづく)

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