古田史学会報一覧

第508話 2012/12/23

『古田史学会報』113号の紹介

 新年1月12日(土)には恒例の賀詞交換会を大阪(大阪駅前第2ビル4階)で開催し、古田先生のお話をうかがいます。ぜひご参加ください。賀詞交換会の後には懇親会も開催しますので、参加希望者は当日会場でお申し込みください。
 翌週の19日(土)には古田史学の会・関西例会を開催しますが、会場がいつもとは異なりますので、ご注意ください(大阪中央区民センター)。
 『古田史学会報』113号が発行されましたのでご紹介します。

〔『古田史学会報』113号の内容〕
○古田史学の会・四国 例会百回記念講演会  豊中市 大下隆司
○賀詞交換会(古田先生を囲んで)の案内
○「八十戸制」と「五十戸制」について  札幌市 阿部周一
○『書紀』「天武紀の蝦夷記事にいて  川西市 正木 裕
○前期難波宮の学習  京都市 古賀達也
○会報投稿のコツ  編集長 古賀達也
○割付担当のヨタ話? 玉依姫・考  西村秀己
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○編集後記


第504話 2012/12/14

平成24年の回顧

 昨年に続いて、年末にあたり平成24年を回顧してみます。もちろん「古田史学の会」関連の個人的学問的な関心に基づいたものです。順不同ですが、印象の強いものから取り上げてみます。

1.太宰府出土「戸籍」木簡の衝撃
やはり今年の筆頭はこれでしょう。九州王朝の時代の「戸籍」関連木簡が太宰府から出土したのですから、九州王朝末期の王朝中枢領域の研究にとって第一級の文字史料です。

2.市 大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』と多元的木簡研究
太宰府「戸籍」木簡出土を契機に、古田学派では木簡に関する関心が一段と高まりました。その同時期に中公新書から刊行された市
大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』は一元史観に立脚したものとはいえ、最新の木簡研究の成果が記されており、わたしも大変勉強になった一冊です。
これらを契機に「多元的木簡研究会」(略称:たも研)を発足させることになりました。

3.新人論客の登場
札幌市の阿部周一さんが彗星のように登場され、次々と研究論文を投稿されています。会報掲載が間に合わないほどの投稿ペースです。さらなる研究の深化が期待されます。

4.観世音寺創建年史料の発見
阿部周一さんから『日本帝皇年代記』(鹿児島県、入来院家所蔵未刊本)が紹介され、その中に白鳳10年条(670)に「鎮西建立観音寺」という記事があることをお知らせいただきました。
また、井上肇さんから送っていただいた『勝山記』にも観世音寺の創建年が白鳳10年と記録されていました。観世音寺創建年については、『二中歴』では
「白鳳年間(661~683)」とされているのですが、具体的年次は不明でした。今回の「発見」により、創建年が明らかとなり、太宰府編年研究が前進しま
した。

5.越智国の「紫宸殿」「天皇」地名
西条市(旧・東予市)に字地名「紫宸殿」とその近傍に字地名「天皇」があることが、「古田史学の会・四国」の今井久さんらにより報告されました。この発見により、古代越智国の位置づけや九州王朝論に新たな展開が期待されています。

6.合田洋一著『地名が解き明かす古代日本』
合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人、同四国の会事務局長)が『地名が解き明かす古代日本』(ミネルヴァ書房)を上梓されました。地名を多元史観・九州王朝説により考察されたもので、古田史学の新たな分野と可能性を拓かれました。

7.中国にあった「聖徳太子」九州年号史料
名古屋市の服部和夫さん(古田史学の会・会員)から、聖徳太子が書写したとされる『維摩経』断簡が中国にあり、末尾に九州年号「定居元年」が記されていることが報告されました。これにより、九州王朝の「聖徳太子」という視点が明確となり、研究が促されました。

8.久留米大学公開講座で「九州王朝論」講義
九月に開催された久留米大学公開講座で「筑後の九州王朝」というテーマでわたしと正木裕さんが講義を行いました。古田先生以外の研究者が先生の後を受け
継ぎ、大学の公開講座で古田説・九州王朝論が講義できる時代になったのです。10年前には考えられなかった快挙です。

 この他にも、ミネルヴァ書房からは古田先生の著作が続々と復刻されており、全国の書店に並ぶようになりつつあります。来年も古田史学や「古田史学の会」にとって飛躍の年となるでしょう。楽しみです。


第478話 2012/10/06

『古田史学会報』111号 112号の紹介

 『古田史学会報』112号が発行されましたのでご紹介します。ところが111号の紹介をうっかり忘れていましたので、併せてご紹介します。すみませんでした。

〔『古田史学会報』111号の内容〕
○太宰府出土「戸籍」木簡 「多利思北弧」まぼろしの戸籍か! 豊中市 大下隆司
○神功皇后と盗まれた神松 川西市 正木 裕
○「百済禰軍墓誌」について -「劉徳高」らの来倭との関連において- 札幌市 阿部周一
○続・越智国にあった「紫宸殿」地名の考察 松山市 合田洋一
○(書評)古田武彦著『古代史の十字路』 京都市 古賀達也
○古田史学の会会員総会の報告・会計報告
○遺跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○「古田史学会報」原稿募集

〔『古田史学会報』112号の内容〕
○盗まれた九州王朝の女王たち -神功皇后一人にまとめられた卑弥呼・壱与・玉垂命- 川西市 正木 裕
○太宰府「戸籍」木簡の考察 -付・飛鳥出土木簡の考察- 京都市 古賀達也
○斉明天皇と紫宸殿(明理川) (白村江戦大敗と、斉明天皇越智国滞在の真実) 西条市 今井 久
○「女王国」について ー野田利郎氏の回答に応えてー 名古屋市 石田敬一 
○遺跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○「古田史学会報」原稿募集


第421話 2012/06/09

『古田史学会報』110号の紹介

 一昨日と昨日、鹿児島県・熊本県・宮崎県を仕事で回ってきました。天草市で宿泊したのですが、途中、八代市や宇土半島を通過しました。同地域は、『倭姫世記』に記された「淡海」を琵琶湖ではなく八代市河口とされた西村秀己さんの研究以来、古田学派内で注目を浴びていること もあって、出張のついでとは言え実見することができてラッキーでした。
宿泊した天草では、「十五社神社」という今まで知らなかった神社が散見され、興味を引かれました。このことについては、別途書きたいと思います。
『古田史学会報』110号が発行されましたのでご紹介します。拙論「観世音寺・大宰府政庁II期の創建年代」の他、札幌市の期待の新人、阿部周一さんの 「無文銀銭」-その成立と変遷-などが掲載されています。阿部稿はなかなかの労作で、九州王朝と無文銀銭の関係を詳しく考察されています。
掲載論文・記事は次の通りです。なお、六月十七日には古田史学の会会員総会と記念講演を開催しますので、会員の皆様のご出席をお願いします。記念講演会は非会員の方も参加できます。

〔『古田史学会報』110号の内容〕
○観世音寺・大宰府政庁II期の創建年代  京都市 古賀達也
○補遺 観世音寺建立と「碾磑」  川西市 正木 裕
○「無文銀銭」–その成立と変遷  札幌市 阿部周一
○磐井の冤罪 IV  川西市 正木 裕
○「邪馬一国」は「女王国」ではない
-『東海の古代』の石田敬一氏への回答-  姫路市 野田利郎
○(書評)古田武彦著『人麿の運命』 京都市 古賀達也
○遺跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○古田史学の会会員総会・記念講演会(六月十七日)のご案内
○「古田史学会報」原稿募集


第412話 2012/05/13

『和田家文書』研究の発表

 昨日は淡路島までドライブしてきました。高速道路のサービスエリアで無料配布されていた「遊・悠・WesT」5・6月号に、「島根、奈良の古事記の旅」という特集があったので、いただいて読んでみました。
 出雲大社や石上神宮などの神社旧跡の他、古代出雲歴史博物館・橿原考古学研究所付属博物館などが写真付きで紹介されており、古代史ファンにはうれしい内 容です。しばらくはサービスエリアなどに置かれていると思いますので、高速道路ご利用時にはお勧めです。
 さて、6月17日(日)午後に古田史学の会会員総会・記念講演会を開催しますが、その講演内容が決まりましたのでお知らせします。今年の発表者は東京古田会(古田武彦と古代史を研究する会)の安彦克己さんとわたしです。演題は次の通りです。

○安彦克己さん
『和田家文書』の安日彦、長髄彦
-秋田孝季は何故叙述を間違えたか-

○古賀達也
文字史料から見える九州王朝
-百済禰軍墓誌・「大歳庚寅」銘鉄刀・「はるくさ」木簡・『勝山記』・他-

 安彦さんは古田学派で最も熱心に『和田家文書』を研究されている研究者のお一人です。関西例会では『和田家文書』についての研究発表が少ないこともあり、今回大阪で発表していただくことにしました。
 わたしは、近年新たに発見された金石文などの文字史料を九州王朝説の視点から解説することにしました。まだ検討不十分な内容もありますが、古田学派内での研究のたたき台にしていただければ幸いです。
 なお、午前中は同じ会場(大阪府立大学中之島サテライト2階ホール=大阪府立中之島図書館別館2階)で関西例会を開催します。午後、記念講演会終了後に 会員総会を行います。その後は恒例の懇親会となりますが、懇親会への参加申し込みは、当日会場での受付となります。講演会・例会は会員以外の方も参加でき ます。ふるってご参加ください。


第403話 2012/04/08

『古田史学会報』109号の紹介

 『古田史学会報』109号が完成しました。近々、会員のお手元に届くことと思います。四月より新年度となりました。会費のお支払いをお願い申しあげます。一般会員三千円、賛助会員五千円(会誌「古代に真実を求めて」も進呈)です。
 109号一面には大下隆司さんの『七世紀須恵器の実年代 — 「前期難波宮の考古学」について』が掲載されています。この大下稿は前期難波宮の創建を天武期とするもので、わたしの「前期難波宮九州王朝副都説」を考古学的に批判する内容で、根拠と論旨が明確なすぐれた論稿です。
 久しぶりの本格的な論戦に、わたしもわくわくしています。もちろん学問論争ですから、「勝ち負け」ではなく、共に切磋琢磨して「真実に近づくこと」が大切です。考古学をしっかりと勉強して、反論したいと思います。
 109号掲載稿は次の通りです。

〔『古田史学会報』109号の内容〕
○七世紀須恵器の実年代 –「前期難波宮の考古学」について  豊中市 大下隆司
○九州年号の史料批判  京都市 古賀達也
正誤表 P5-2段-2行 大化は五十5年→大化は五十年遡らせて (失礼しました。古賀氏より)

○「国県制」と「六十六国分国」 下 –「常陸国風土記」に現れた「行政制度」の変遷との関連においてー  札幌市 阿部周一
○磐井の冤罪 III  川西市 正木 裕
○倭人伝の音韻は南朝系呉音 ー内倉氏との「論争」を終えてー  京都市 古賀達也
○-独楽の記紀- 記紀にみる「阿布美と淡海」  大阪市 西井健一郎
○遺跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○2012年度 会費納入のお願い
○「古田史学会報」原稿募集


第384話 2012/02/17

「古田史学会報」108号の紹介

 第379話で紹介した期待の新人、札幌市の阿部周一さんの論稿が「古田史学会報」108号の第一面に掲載されました。新人の会報デビューで一面を飾るのは大変珍しいことなのですが、西村さんと相談の上、決定しました。
 阿部稿は評制以前の行政単位とされている「国県制」が七世紀初頭の九州王朝にて施行されたとするもので、「常陸国風土記」などを史料根拠とされ、論証を試みておられます。従来説もよく勉強されており、なかなか優れた研究者とお見受けしました。おそらく、北海道の地で古田史学・多元史観を一人で勉強されて いるのでしょう。これからのご活躍が期待されます。阿部さんは既に論文を三つほど投稿されているのですが、今回のものが最も優れていましたので、一面掲載を決断しました。
 「北の大地に学人あり、また同志ならずや」の心境です。共に古田史学・多元史観の一翼を担っていただけるものと期待しています。
 もうお一人、所沢市の肥沼さんも期待の研究者で、今回久しぶりにご寄稿いただけました。古代ハイウェイ(官道か)を九州王朝が造ったものとする新説で、これからの研究の深化が楽しみです。

「古田史学会報」108号の内容
○「国県制」と「六十六国分国」(上)
-「常陸風土記」に現れた「行政制度」の変遷との関連において- 札幌市 阿部周一
○前期難波宮の考古学(3)
-ここに九州王朝の副都ありき- 京都市 古賀達也
○古代日本のハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か? 所沢市 肥沼孝治
○筑紫なる「伊勢」と「山邊乃五十乃原」 川西市 正木 裕
○百済人祢軍墓誌の考察 京都市 古賀達也
○2011,6,16号の新潮
「卑弥呼の鏡の新証拠」に付いて 山東省曲阜市 青木秀利
○新年のご挨拶 代表 水野孝夫
○「古田史学の会・関西」遺跡めぐりハイキング
○「古田史学の会」関西例会のご案内
○「古田史学会報」原稿募集
○編集後記


第379話 2012/01/25

新たな論客の出現

 昨日から東京出張で、今日は帰りの新幹線車中で書いています。年始より出張が続き、さすがに疲れてきました。
 こうしたこともあって、「古田史学会報」への投稿論文の採否チェックは新幹線車中で行うことが多いのですが、最近、すぐれた投稿が増えて喜んでいます。 なかでも北海道のAさん、埼玉県のKさんの論稿は、安心して読めるもので、新たな論客が出現したと期待しています。
「安心して読める」論稿とは、古田説は当然として通説もよく咀嚼されており、史料根拠も明確で、その論証や結論の当否は別としても、その文章が論理的であるということが共通しています。
 AさんやKさんの論稿はこれから「古田史学会報」に順次掲載予定ですので、お楽しみに。なお、お二人が常連投稿者となられるようでしたら、次第に採用基準を厳しくさせていただくことになります。偉そうな言い方ですみませんが、期待の現れとご理解ください。
そろそろ、京都駅に到着ですので、今日はこのへんで。


第376話 2012/01/19

「古田史学会報」107号の紹介

 今日は三重県四日市市に来ています。中日新聞の一面に、紫香楽宮から二棟の正殿跡が出土したことが大きく紹介されています。さすがは地元紙ですね。
 紫香楽宮を造った聖武天皇は後期難波宮も造っており、多元史観から見ても王朝交代直後であり九州王朝の影響を受けているようで、大変興味深い天皇の一人です。
 わたしも『古代に真実を求めて』15集(本年春発行予定)に「九州王朝鎮魂の寺」を投稿しましたが、それは聖武天皇の時代における法隆寺の性格について論究したものです。8世紀初頭の近畿天皇家の歴史は、九州王朝説に基づいて研究する必要を感じています。
 ところで、年末年始ばたばたしていたため、「古田史学会報」107号の紹介を忘れていました。遅くなりましたがご紹介します。

『古田史学会報』107号の内容
○古代大阪湾の新しい地図
-難波(津)は上町台地になかった-  豊中市 大下隆司
○「大歳庚寅」象嵌鉄刀銘の考察  京都市 古賀達也
○中大兄はなぜ入鹿を殺したか  小金井市 斎藤里喜代
○福岡市元岡古墳出土太刀の銘文について  川西市 正木裕
○磐井の冤罪II  川西市 正木裕
○朝鮮通信使(文化八年度)饗応『七五三図』絵巻物
–小倉藩小笠原家作成絵図の対馬での公開にあたって  松山市 合田洋一
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集


第374話 2012/01/14

全国世話人会を開催

 今日の新年賀詞交換会に先だって、午前中に「古田史学の会」全国世話人会を開催しました。会誌『古代に真実を求めて』を発行していただいている明石書店からも佐野さんにオブザーバーとして出席していただきました。
 今回の世話人会でも問題となったのが、「古田史学会報」や例会の内容が難しすぎるという声が新入会員から出ているということでした。会員をもっと増やし、古田史学を広めるためにも、わかりやすく面白い会報にすることが求められているのですが、なかなか妙案が出ませんでした。
 論議の結果、会報編集部を増員し、企画力などを向上させることとなり、不二井伸平さん(全国世話人)に編集部入りしていただくことになりました。
 これにより、投稿原稿以外に企画に基づいた依頼原稿を増やし、初心者向けの記事を増やしたいと考えています。会員の皆さんのご理解とご協力をあらためてお願いいたします。


第360話 2011/12/11

会報投稿のコツ(4)

 続けてきました「会報投稿のコツ」も今回が最後となります。テーマは「論証」です。
 わたしが古田先生の著作に感銘を受けて、「市民の古代研究会」に入会したのが、今から25年前でした。その後、わたしも研究論文を書きたくなり、へたくそながら「市民の古代ニュース」などに投稿を始めたのですが、最初にぶつかった壁が「論証」でした。古田先生からは「論証は学問の命」と教えられました。 ですから、論証が成立していなければ学術論文として失格です。ところが論証とは何か、どうすれば論証したことになるのかという、基本的なことがなかなか理解できませんでした。
 その時、一つのヒントになったのが中小路俊逸先生(故人・追手門学院大学教授)の「ああも言えれば、こうも言えるというのは論証ではない」という言葉でした。言い換えれば、「誰が考えても、どのように考えても、このようにしか言えない」と説明することが論証するということなのです。しかし、わたしが真にこのことを理解できたのは、さらにその数年後でした。
 和田家文書偽作キャンペーンの勃発により「市民の古代研究会」は分裂し、少数派に陥ったわたしは水野さんらとともに「古田史学の会」を立ち上げたのですが、マスコミも巻き込んで執拗に続けられる偽作キャンペーンと古田バッシングに対して、わたしたちは学術論文で対抗しました。
 その時は「やるか、やられるか」という真剣勝負でした。しかも、その勝敗・優劣を決めるのは多くの読者、あるいは裁判所の裁判官でした(裁判所への陳述書も書きました)。わたしがどう思うかではなく、第三者が偽作論者の主張とわたしたちの主張とのどちらが正しいと考えるかが勝敗を分けるのです。そこにおいて、第三者を納得させることができるのは、証拠(史料根拠)の提示と「論証」だけでした。
 このときの胃の痛くなるような経験が、わたしにとって学問における「論証」の何たるかを、より深く理解できる機会となったのです。その意味では、わたしは偽作キャンペーンに「感謝」しています。あのときのあの経験がなければ、今でも「論証」の意味を深く理解できていなかったかもしれないからです。
 会報に投稿される古田学派の研究者の皆さん。どうか、学問の命である論証を何よりも大切にした論文を送ってください。たとえその結論に反対であっても、わたしや西村さんが掲載せざるを得ないようなするどい原稿を心からお待ちしています。


第359話 2011/12/09

会報投稿のコツ(3)

 今日は大阪にいます。わたしが仕事の関係で理事をさせていただいている「繊維応用技術研究会」の講演会が大阪のホテルで開催されており、その休憩時間に書いています。それでは「会報投稿のコツ」の続きです。

 会報の花形はやはり一面トップ論文です。基本的に投稿原稿の中から最も優れたタイムリーな原稿が一面に掲載されます。読者もそういう目で読まれますか ら、一面にどの原稿を採用するかは、編集部の見識や力量も問われ、西村さんが毎号悩まれることになります。一面にふさわしい投稿が無いときは、それこそ大 変で、常連投稿者に頼み込んで急遽書いてもらうということもありました。
 採用される研究論文の評価ポイントがありますが、特に留意していただきたいことは次の諸点です。

1.最初に何を論証したのかという結論を明記してください。最後まで読まないと何が言いたいのかわからない原稿では困ります。研究論文は推理小説とは違うと言うことをご理解ください。

2.論証の根拠とした史料や文献は必ず出典を明記してください。必要があれば関係部分を引用してください。そうしないと読者がその新説の当否を検証できませんから。史料根拠が示されていない論文は学術論文の体をなしていません。

3.先行説と自説をはっきりと分けて記述し、先行説の出典も明記してください。学問は学説の積み重ね、あるいは淘汰しながら発展しますから、賛成にせよ反対にせよ先行説にふれない論文もまた学術論文として不十分です。もちろん、先行説が存在しないほどの先駆的研究であれば別ですが。あるいは、説明や紹介の 必要性がないほど周知の通説は、省略してもかまわない場合があります。

4.論証と断定を意識的に区別してください。「没」になる理由の大半がこれらが区別されず、自らの断定を論証と勘違いされているケースなのです。「まわり が何と言おうがわたしはこう思う」は断定であり、「誰が考えても、どのように考えてもこうならざるを得ない」という説明が論証です。

5.自説に不利な史料や先行説を無視軽視せず紹介した上で、どういう理由や根拠で自説の方が有力・合理的であるかを、読者が理解できる平明な言葉と論理性で説明してください。

 おおよそ以上の点が審査項目ですが、現実にはかなり甘く判定しています。常連投稿者になると、厳しく審査しますが、初投稿者の場合は、エールを送る意味から甘くしています。
 それから、あれもこれも論証しようとして「大論文」にしてしまう方も見られますが、会報はスペース上の制限がありますので、なるべく1テーマに的を絞ったシャープな切れ味の論文が望まれます。どうしても「大論文」にされたい場合は、「古田史学会報」ではなく会誌「古代に真実を求めて」に投稿をお願いしま す(投稿先:水野孝夫)。(つづく)