関西例会一覧

第130話 2007/05/26

丹後半島へのドライブ

 仕事の必要上からとうとう自動車免許をとりました。3月から4月は、親子ぐらい年の離れた若者達に混じって自動車教習所に通い、5月の連休明けに免許を取得しました。そして、先日、出張で京丹後市大宮町まで社用車プリウスで行ってきました。幸い、お天気に恵まれ、事故もなく無事帰ってきました。ただ、下りの急カーブや京都縦貫道の高速運転はちょっと怖かったです。

  途中、100メートル級の前方後円墳などもあり、今度は仕事抜きで行ってみたいと思いました。さて、このところ忙しくて5月の関西例会を欠席しましたが、発表内容は下記の通りでした。
 
  〔古田史学の会・5月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 素人手作り『古田史学会報』冊子(豊中市・木村賢司)
  2). 倭と日本のよみ方2(木津町・竹村順弘)
  3). 「日本」のルーツは「(畝尾の)木本」である(大阪市・西井健一郎)
  4). 三世紀中国の地図事情と「短里」(神戸市・田次伸也)
  5). 九州年号で見直す斉明紀(川西市・正木裕)
  6). 東北王朝in『真澄全集』〔安日の巻〕(奈良市・太田斉二郎)
  7). 宇佐探訪報告(向日市・西村秀己)
  ○水野代表報告
    古田氏近況・会務報告・美努岡万墓誌『倭姫世記』・他(奈良市・水野孝夫)


第129話 2007/04/29

難波収さんとの一夕

 第107話「弥生の高層建築」で紹介した難波収さんが、オランダから一時帰国され、京都に逗留されていたので、昨夕、二人で遅くまで食事とお酒と会話を楽しみました。この5月には81歳になられる難波さんは、古くからの古田先生の支持者です。帰国されたときは、お会いし親交を暖めています。
 私からは古田史学の会や古田史学を取りまく状況をお話し、難波さんからは今の日本を憂慮するお話をお聞きするのが常となっています。「日本の政治家はダメだが、食べ物は旨い」とおっしゃられていたのが印象に残りました。また、オランダの知人が書かれた本「わたしは誰の子−父を捜し求める日系二世オランダ人たち」葉子・ハュス−綿貫著(梨の木舎、1800円+税)をいただきました。前の戦争の傷跡が現在も深く残っていることを改めて認識させられる本のようです。この連休にしっかりと読みたいと思います。
 難波さんとお会いできるのは、次はいつになるのでしょうか。夜のバス停で何度も別れの握手をかわしました。
 ところで、ちょっと遅くなりましたが、21日に行われた4月例会の発表内容をお知らせします。

〔古田史学の会・4月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1. この俺が・・(豊中市・木村賢司)
  2. 倭と日本のよみ方(木津町・竹村順弘)
  3. 「泣澤女神」と「狭狭の小汀」の関係(大阪市・西井健一郎)
  4. エクアドル〈縄文・弥生〉のフォロー I(豊中市・大下隆司)
  5. 『日本書紀』の記事の長さ(相模原市・冨川ケイ子)
  6. 「大化改新」虚と実(奈良市・飯田満麿)
  7. 安日は神武によって東日流に放逐された(奈良市・太田斉二郎)
  ○水野代表報告
   古田氏近況・会務報告・『倭姫世記』の淡海浦論証追加・他(奈良市・水野孝夫)


第127話 2007/03/19

バルディビア調査旅行の報告

 17日の関西例会では、古田先生のバルディビア調査旅行に随行された大下さん(本会事務局次長・スペイン語通訳)と竹内さん(本会会員・岐阜市在住)の両名から旅行の報告がなされました。現地でバルサの船を造り、日本への航海を準備している青年との出会いなど、感動的なエピソードを交えた報告で、大変素晴らしい報告でした。

 関西例会参加者だけではもったいないので、6月17日(日)に開催予定の会員総会記念講演会で、大下さんからカラープロジェクターを使用して詳細な報告をしていただきます。是非、おこし下さい。会場や時間などは後日、お知らせいたします。
    なお、例会の発表内容は次の通りでした。
 
  〔古田史学の会・3月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 『周髀算経』と「短里」(神戸市・田次伸也)
  2). 丹後風土記逸文「奈具社」(大阪市・西井健一郎)
  3). 「東日流」in「真澄全集」(奈良市・太田斉)
  4). 武烈紀における「倭君」3(相模原市・冨川ケイ子)
  5). バルディビア調査旅行(豊中市・大下隆司)
  6). エクアドルの旅─古田武彦と共に(岐阜市・竹内強)
  7). 古田武彦論証の検証と強化─「万葉の覚醒」から「壬申大乱」まで(川西市・正木裕)
  ○水野代表報告
   古田氏近況・会務報告・斉明紀五年三月項の不可解・高市皇子天皇説・他(奈良市・水野孝夫)


第121話 2007/02/18

暖冬の嵐

  暖冬の今年、早くも春一番が吹き荒れましたが、関西例会でも論戦の嵐が巻き起こっています。昨日の関西例会では、山浦さんから、『なかった』1号・2号に 連載された田遠清和さんの「『心』という迷宮−漱石『心』論」に対する強烈な反論がなされました。山浦さんの反論には、例会参加者からは概ね賛意が得られ ましたが、論文発表が待たれるところです。
 新入会員で例会初発表の永井さんからは、冨川さんの「武烈天皇紀における『倭君』」に敬意を表しながらも、問題点を厳しく指摘する発表がありました。水野代表からも、高市皇子天皇説に基づいた大胆な仮説が発表されました。これにはちょっとついていけないなあ、との感想を持ちましたが、こうした仮説が発表できるのも例会の良いところだと思います。いずれにしても、水野代表にしては大胆な仮説で、面白い内容でした。
 毎月のように初めての参加者がみえられる関西例会ですが、春の嵐のような論戦もまた、楽しいものです。もちろん、互いの敬意や節度は守った上でのことで すが。二次会の飲み会も安い会場がみつかり、大いに盛り上がっています。関西の皆さん、ご遠慮なく参加して下さい。参加費は500円。絶対にお得です。

〔古田史学の会・2月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 古代史「道楽三昧」(豊中市・木村賢司)
2). 『日本書紀』に引用された『百済本記』(奈良市・飯田満麿)
3). 「百年の孤独」か「百年の誤読」か(豊中市・山浦純)
4). 日本書紀「五月五日薬猟」資料批判 I(川西市・正木裕)
5). 武烈紀における麻那君・斯我君記事の持つ意味(たつの市・永井正範)
6). 持統天皇と文武天皇の間(相模原市・冨川ケイ子)
○水野代表報告
  古田氏近況・会務報告・鴫原姓の分布・高市皇子天皇説・他(奈良市・水野孝夫)


第112話 2007/01/02

2007年の抱負

 会員の皆さま、ホームページ読者の皆さま。新年明けましておめでとうございます。
 昨年は九州年号実在の直接証拠ともいえる「元壬子年」木簡の発見や、大長年号に関する新説を発表でき、記念すべき一年となりました。関西例会でも、正木 さんの「34年遡り現象」による『日本書紀』の新史料批判、そして冨川さんの武烈紀の「倭君」の発見など、『日本書紀』研究において注目すべき進展を見ま した。水野さんらの淡海の研究も目が離せない状況です。
 古田学派として、本格的な論客が輩出でき、2007年も楽しみな一年となりそうです。ただ、個人的には勤務先での人事異動のため、新たな仕事に追われ て、今までのようには研究ができない状況です。この日記もなかなか以前のようには筆が進みません。ご期待していただいている読者の皆さまには、申しわけ有 りませんが、しばらくは研究や執筆速度が落ちます。
   わたしも今年で52歳になりますので、健康に留意しながら、仕事と歴史研究を両立できればと願っています。2007年も皆さまのご指導とご協力をお願い申し上げます。


第110話 2006/12/22

『万葉集巻一』九州王朝作歌説?!
  ちょっと遅くなりましたが、16日に行われた関西例会の報告をします。今回も多彩な研究報告がなされましたが、水野代表による『万葉集巻一』九州王朝作歌説はちょっと強引な感じもしましたが、なかなか面白い説だと思いました。何せ、『万葉集』の巻一全部が九州王朝で作られたというものですから、本当だったら面白いけれど、そんな全部の歌を論証可能なのか、というのが率直な感想でした。しかし、このような大胆な説が発表できるのも、例会の良いところではないでしょうか。
 新年一月の関西例会は、午後は古田先生の講演会がありますので、午前中だけとなります。会場がいつもと異なりますので、お間違いないように。

〔古田史学の会・12月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞 8/30古田・安川対談、12/7寛政原本を見る
○研究発表
1).「自悪其名不雅」考、泥憲和氏の「『九章算術』の短里を読んで」(向日市・西村秀己)
2). 倭国律令のこと、平安時代に至っても弾圧されていた肥後国、二人の美濃王(姫路市・泥憲和)
3). 伊勢王・その一 総論(川西市・正木裕)
4). 九州王朝諸系図の検討と分析(奈良市・飯田満麿)
5). 武烈天皇紀における「倭君」・その二(相模原市・冨川ケイ子)
6). 運歩色葉集と九州年号(木津町・竹村順弘)
7). 装飾古墳の文様(生駒市・伊東義彰)
○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・「寛政原本発見!東日流外三郡誌」・『万葉集巻一』九州王朝作歌説・他(奈良市・水野孝夫)


第104話 2006/10/23

ホームページに中国語版開設へ

 おかげさまで、本会ホームページも順調にアクセス件数を伸ばし、少なからぬ影響を及ぼしているようです。古田史学を世界に向けて更に強力に発信するために、現在の英語版に加えて、中国語版を開設する方向で検討を進めています。ホームページ担当の横田さん(本会事務局次長)によれば技術的に可能とのことなので、本格的な準備に入りたいと考えています。
 中国語版の計画を古田先生にお話ししたところ、大変喜ばれていました。現在、中国語訳されている古田先生の論文以外にも、九州王朝説をわかりやすく説明した中国語論文も作成したいと思います。
 一昨日、古田史学の会・関西例会が行われました。内容は下記の通りですが、発表希望者が多く、西井さんの発表は次回回しとなったほどです。今回も注目すべき発表がいくつかありました。たとえば、正木さんは前回に続いて、『日本書紀』の34年ずらした盗用の痕跡などを、ますます精緻に論証されました。会報にも掲載予定です。
  多くの皆さんの例会へのご参加をお待ちしています。お気軽にご参加下さい。古田史学の最前線の研究が聞けます。これで参加費500円は超お得です。

〔古田史学の会・10月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞 太平洋戦争(2)開戦
○研究発表
1. 私と学問のすすめ〔現在進行中〕(豊中市・木村賢司)
2. 古田・安川対談について(豊中市・大下隆司)
3. コバタケ珍道中・岐阜編(木津町・竹村順弘)
4. 竺志考2(岐阜市・竹内強)
5. 讃留霊王の悪魚退治伝説(向日市・西村秀己)
6. 九世紀初頭における「禁書」の書名とその内容(相模原市・冨川ケイ子)
7. 『古田武彦と「百問百答」』を読んで(京都市・古賀達也)
8. 九州古墳文化の展開(生駒市・伊東義彰)
9. 持統・斉明紀における蝦夷記事の再考、他(川西市・正木裕)
○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・扇の起源・他(奈良市・水野孝夫)


第98話 2006/09/17

サーバー・ダウン?!

 先週、本会ホームページが突然アクセス不能となり、多くの会員や読者の皆様にご心配やご迷惑をおかけしました。わたしは、てっきりホームページ担当の横田幸男さん(古田史学の会・事務局次長)が大がかりなリニューアルでもされているのだろうと思っていましたが、   16日の関西例会時に横田さんから事情を聞いたところ、プロバイダー側との事務的な単純ミスだったとのこと。深刻なトラブルではなくて、一安心でした。
 関西例会の内容は下記の通りですが、正木さんが発表された『日本書紀』の「34年の遡り現象」という新テーマは、『日本書紀』編纂方針にもかかわる重要な問題へと発展する可能性があります。今後の展開が楽しみです。
 今回は、相模原市からの常連冨川ケイ子さんの他、佐賀県武雄市の会員古川さんや、名古屋市の林俊彦さん(古田史学の会・東海代表、全国世話人)など遠方からもご参加いただきました。もちろん、二次会・三次会が盛り上がったことは言うまでもありません。
 「朋あり、遠方より来る。また楽しからずや。」(『論語』)でした。

〔古田史学の会・9月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞 太平洋戦争への道
○研究発表
1. ホームランでなく大ファールだった(豊中市・木村賢司)
2. 素人読みの『心』覚え書き−田遠清和氏の「漱石『心』論・前編」への感想−(豊中市・山浦純、代読・木村賢司)
3. 近畿と九州の寺院の由緒(木津町・竹村順弘)
4. 日本書紀に記載された伊勢王記事と関連事項(奈良市・飯田満麿)
5. 日本書紀、白村江以降に見られる「34年の遡り現象」について(川西市・正木裕)
6. 古代の屋島あれこれ(向日市・西村秀己)
7. 古層の「天神」−埴安命−(京都市・古賀達也)
8. 伊須受宮と伊勢神宮(大阪市・西井健一郎)
○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・安川寿之輔名大名誉教授と古田氏会談・他(奈良市・水野孝夫)


第95話 2006/08/22

白雉改元と前期難波宮

 昨年から今年にかけて、私は『日本書紀』白雉改元記事の史料批判から、あるいは前期難波宮の規模や様式などから、この難波宮を九州王朝の副都とする仮説を展開してきました。19日の関西例会でも最新の発見について報告しましたが、そのおり竹村順弘さんから、兵庫県南部に白雉年間創建の寺院が多いことを教えていただきました。この事実も難波宮建設と関連が深いと思われますが、「元壬子年」木簡の出土地も芦屋市だったことを考えると、なかなか興味深い現象です。
 今回の例会もバラエティーに富んだ内容で、毎回充実した例会となっています。例会後の二次会も参加者が多く賑やかですが、最近では三次会も参加者が多く場所探しが大変でした。また、二次会から参加される「熱心」な方もおられ、驚かされます。例会の内容は次の通りです。

〔古田史学の会・8月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞 歴史でたどる日本の古寺名刹「海の道」
○研究発表
1. 孔明「出師の表」と岳飛・『なかった─真実の歴史学』創刊号を見て・守備範囲外(豊中市・木村賢司)
2. 「速吸門」についての若干の整理(川西市・正木裕)
3. サヌカイトと屋島訪問ー古田武彦先生同行記ー(豊中市・大下隆司)
4. 続・白雉改元の史料批判(京都市・古賀達也)
5. 熊本県浄水寺の平安時代石碑2(相模原市・冨川ケイ子)
6. さ迷える五十鈴の宮(大阪市・西井健一郎)

○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・阿胡根能浦は鹿児島県阿久根市か・他(奈良市・水野孝夫)


第90話 2006/07/16

『筑後国正税帳』の証言

 筑後国府には考古学的に謎が多いことを述べてきましたが、文献上にも不思議な記事があります。既に古田先生が指摘されているテーマですが、天平10年(738)の正倉院文書『筑後国正税帳』に筑後国より都あるいは律令制下の大宰府に献上された品目が記されています。その中に他国の正税帳とは全く異なる品目が列挙されているのです。
 たとえば、銅釜工、轆轤工3人、鷹養人30人、鷹狩り用と思われる犬15匹です。そして何よりも驚きなのが、白玉113枚、紺玉71枚、縹玉933枚、緑玉72枚、赤勾玉7枚、丸玉4枚、竹玉2枚、勾縹玉1枚という大量の玉類です。これら全ての玉類が筑後地方から産出するとは考えられませんから、他国から筑後国に集められたと思われます。
 こうした史料事実は通説では説明不可能です。九州王朝説やわたしの筑後遷宮説でなければ説明できないと思います。すなわち、天子や王侯の遊びであった鷹狩りが行われていた証拠である「鷹養人30人」や「鷹狩り用の犬」の献上は、この地に九州王朝の都があった証拠なのです。大量の玉類も同様です。もしかすると、九州王朝の「正倉院」が筑後国にあったのではないでしょうか。そうすると、大量の玉類はそこに収蔵されていた可能性が濃厚です。
 第三期筑後国府跡に曲水の宴遺構が隣接していたことも、このことと関連して考察するべきでしょう。
古田史学会報36号「両京制」の成立 古田武彦 参照)

 話は変わりますが、昨日15日に古田史学の会・関西例会が行われました。残念ながら勤務の都合で私は欠席しましたが、テーマのみお知らせしておきます。
  〔古田史学の会・7月度関西例会の内容〕

 ○ビデオ鑑賞 歴史でたどる日本の古寺名刹「天台の道」

 ○研究発表
  1. 伊予の大族、越智・河野系譜にみる、国政とのかかわり伝承(豊中市・木村賢司)
  2. コバタケ珍道中・信州編(木津町・竹村順弘)
  3. 彦島物語・別伝(大阪市・西井健一郎)
  4. 九州年号古賀試案の検証(奈良市・飯田満麿)
  5. 大野城創建と城門柱の刻書(岐阜市・竹内強)
  6. 熊本県浄水寺の平安時代石碑群(相模原市・冨川ケイ子)
  7. 敵を祀る・旧真田山陸軍墓地(豊中市・大下隆司)

○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・教科書から消える聖徳太子・他(奈良市・水野孝夫)


第86話 2006/06/21

事務局体制を強化

 古田史学の会は18日に大阪で定期会員総会を開催しました。総会では、会則の改訂を行い、事務局次長(若干名)ポストを新設し、横田幸男さん(全国世話人・インターネット担当)と大下隆司さん(書籍部担当)が事務局次長に選任されました。この人事により、事務局体制はわたしを含めて3名となり、かなり強化されました。本会の影響力の増大と期待に応えられるよう、頑張ります。
 総会に先だって、午前中は関西例会が、午後は記念講演会が行われました。関西例会の内容は次の通りです。

〔古田史学の会・6月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞「浄土の憧れと国風文化」
○研究発表
1.『古事記』序文と天武紀の「実」(京都市・古賀達也)
○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・大兵主神社とは・他(奈良市・水野孝夫)

 午後の講演会は次の通りでした。パワーポイントとプロジェクターを使用した発表で、カラフルな大画面がなかなか良かったのではないかと自賛しています。

1. 古川清久氏(本会会員・武雄市)
 馬門─阿蘇ピンク石と「石走る淡海」─
2. 古賀達也(本会事務局長)
 「三壬子年」木簡と大長年号の史料批判

 夜の懇親会も、講師の古川さん、福岡の力石さん、松山の合田さん、名古屋の林さんら遠方の全国世話人や会員を交えて、遅くまで宴が続きました。


第78話 2006/05/21

大野城刻木文字は「孚右都」・飯田満麿説

 昨日の関西例会も盛り上がりました。発表が目白押しで、最後に発表したわたしは要点のみ早口で報告するという状況でした。懇親会も参加人数が多く、会場探しが大変でした。ちなみに、わたしは大阪で2軒、京都で1軒とハシゴしてしまいました。
 研究発表でも興味深い内容が多く、大下さん(本会書籍部)は奈良文化財研究所木簡データベースから、「元」と「三」の字を検索列挙され、芦屋市三条九ノ坪出土「壬子木簡」と比較するという実証的な調査研究を発表されました。もちろん結論は「元」の字であるということでした(69話、72話参照)。
 中でも最も注目した発表は、飯田満麿さん(本会会計)の大野城出土木柱の刻木文字に関するものでした(73話、74話参照)。飯田さんはさすがに古代建築の専門家らしく、平城京跡南大門復原時のエピソードや奈良文化財研究所とのやりとりなど、蘊蓄と経験談を述べられた後、「孚」の字義に着目されました。そして『書経』にある「上天孚佑下民」の用例を示され、刻木文字は「孚右都」ではないかとされました。「右」は「佑」の略字と考えられますし、刻木の「石(右)」と読まれた字は右側に偏って刻されており、左側のスペースは「人偏」が本来書かれるはずだったのではないかと推測されたのです。
 そしてもし、「孚右都」であれば、その語意は「都をはぐくみ助ける」となり、大野城正門の木柱に刻まれるにふさわして内容となります。すなわち、唐や新羅との軍事的緊張関係が高まったとき、倭国(九州王朝)の都である太宰府を防衛する大野城正門の柱にその願いを込めたとものと考えられるのです。
 この飯田仮説、かなり面白いと思うのですが、いかがでしょぅか。なお、関西例会の内容は下記の通りでした。

〔古田史学の会・5月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞「密教と曼陀羅の世界」
○研究発表
1.古田史学の果報者(豊中市・木村賢司)
2.多紀理媛と胸形の奥津宮(大阪市・西井健一郎)
3.三条九ノ坪出土「壬子木簡」(豊中市・大下隆司)
4.最後の九州年号─消された隼人征討記事─(京都市・古賀達也)
5.姿を現した東堤*国王達・その一(長岡京市・高橋勲)、 堤*[テイ]は、魚編に堤、土編無し。
6.大野城太宰府口城門出土木材の研究(奈良市・飯田満麿)
7.中巌円月『日本書』がもたらしたもの・その3(相模原市・冨川ケイ子)
8.九州王朝の陪都論−前期難波宮の研究−(京都市・古賀達也)
○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・泰澄と法蓮・他(奈良市・水野孝夫)