古田史学の会一覧

第2682話 2022/02/14

『古田史学会報』168号の紹介

 『古田史学会報』168号が発行されました。一面は正木事務局長の〝「邪馬壹国九州説」を裏付ける最新のトピックス〟です。同稿は昨年12月に開催された和泉史談会(辻野安彦代表)での講演のエッセンスです。同講演内容は奈良新聞(12月28日付)の第4面(カラー)の一頁全てを使って〝「邪馬壹国九州説」有力 考古学・科学分析で確実に〟と紹介されたもので、『古田史学会報』令和四年の冒頭を飾るにふさわしいものです。

 拙稿〝失われた九州王朝の横笛 ―「樂有五弦琴笛」『隋書』俀国伝―〟と〝古今東西の修学開始年齢 ―『論語』『風姿華傳』『礼記』『国家』―〟の二編も掲載していただきました。野田稿〝『隋書』の「水陸三千里」について〟は関西例会で論争を巻き起こした仮説です。今後の検証や展開が期待されます。吉村稿と大原稿は同じく関西例会で発表された考古学論文で、いずれも興味深いテーマを取り扱ったものです。文献史学の論稿が多い『古田史学会報』にあって、こうした考古学分野の研究は貴重です。

 168号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』168号の内容】
○「壹」から始める古田史学・三十四
「邪馬壹国九州説」を裏付ける最新のトピックス 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○失われた九州王朝の横笛 ―「樂有五弦琴笛」『隋書』俀国伝― 京都市 古賀達也
○『隋書』の「水陸三千里」について 姫路市 野田利郎
○科野と九州 ―「蕨手文様」への一考察ー 上田市 吉村八洲男
○栄山江流域の前方後円墳について 京都府大山崎町 大原重雄
○古今東西の修学開始年齢 ―『論語』『風姿華傳』『礼記』『国家』― 京都市 古賀達也
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○『古田史学会報』原稿募集
○古田史学の会・関西例会のご案内
○各種講演会のお知らせ
○編集後記 西村秀己


第2672話 2022/02/01

『東京古田会ニュース』No.202の紹介

 昨日、『東京古田会ニュース』202号が届きました。拙稿「古代山城研究の最前線 ―前期難波宮と鬼ノ城の設計尺―」を掲載していただきました。
 昨年11月の八王子セミナー(注①)で、古代山城の造営を五世紀の倭の五王時代とする意見や古代山城は詳しい調査がなされておらず年代を決定できるような出土品はないとする見解が出されていましたので、同論稿では最新の山城研究の成果を紹介し、多くの出土物に基づき七世紀後半から八世紀の築城であるとする見解が考古学者から有力視されていることを説明しました。同時に鬼ノ城や鞠智城などは八世紀になると土器が激減し、廃絶されたとする説があることから、この現象を701年の九州王朝から大和朝廷への王朝交替の痕跡とする説を発表しました。
 更に、鬼ノ城の礎石建物の造営に前期難波宮と同じ基準尺(29.2cm)が採用されており、このことから従来の土器編年では八世紀とされた同遺構が七世紀後半に遡る可能性があるとする調査報告書(注②)の見解を紹介しました。この事実は、前期難波宮と鬼ノ城が共に九州王朝系勢力による造営であること、七世紀の土器編年に四半世紀ほどのぶれがあることを示唆しているとしました。
 古田史学の会・関西例会などで報告されてきた服部静尚さんの「小田富士雄氏の瓦編年に疑問を呈する」も掲載されており、たとえば北部九州出土の百済系単弁瓦を七世紀後半以降とする従来の編年は誤っており、七世紀前半まで遡るとされました。古田学派内に於いて、エビデンスを提示した考古学論文が発表される傾向は、文献史料の解釈論にとどまらない多元史観・九州王朝説の進展をうかがわせるものではないでしょうか。

(注)
古田武彦記念 古代史セミナー2021 ―「倭の五王」の時代― 実施報告。公益財団法人大学セミナーハウス主催、2021年11月13~14日。
②『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告書236 史跡鬼城山2』岡山県教育委員会、2013年。


第2671話 2022/01/31

ミニ講演会「化学者が語る古代史」

 先週、上京区の喫茶店「うらのつき」さんで古代史のミニ講演会を行いました。妻が懇意にしているお店で、以前からご要請いただいていたこともあり、一念発起して「化学者が語る古代史」として話させていただきました。
 それほど広いお店ではないためやや密になりましたが、参加者には医療関係者もおられ、コロナ対策は万全でした。参加者からは古代史以外に化学や政治についても質問や意見がだされ、「元気が出た」と好評だったようです。毎月行ってほしいとのことでしたので、参加者と話題が続く限り行うことにしました。
 当日、使用したレジュメを転載します。

令和四年(2022年)1月26日
うらのつき古代塾
―化学者が語る日本古代史―
         講師 古賀達也
《講師紹介》
福岡県久留米市出身
京都の化学会社に45年間勤務(色素化学・染色化学)
古田武彦氏(1926-2015年 日本古代史・親鸞研究)に師事
古田史学の会・代表(全国組織、会員約400名)
著書(共著) 『「九州年号」の研究』、『邪馬壹国の歴史学』、『九州王朝の論理』、他

《前話》 理系のわたしの歴史研究
(1)歴史学は犯罪捜査と共通する性格を持つ
 ①どちらも過去に起こった事件の真実(真相)を解明する。
 ②証拠と動機(なぜ?)の解明が必要。
 ③ただし弁護士がつかない⇒冤罪発生のリスクが伴う。
(2)最新科学は正しいのか
〈アポロ計画〉実績がある旧技術を採用し、人類を月面に送った。
〈足利事件〉当時、最先端の科学技術DNA鑑定で有罪⇒悲劇的な冤罪が発生した。
〈和歌山カレー毒物事件〉最新科学装置によるヒ素の分析により有罪判決⇒因果関係が非論理的で冤罪の可能性がある。
(3)教科書に書かれている日本古代史は前提から間違っている。
〈日本古代史の前提〉大和朝廷が日本列島の唯一の卓越した王朝である。⇒この『古事記』『日本書紀』の記述は信用してもよいのか。

《第一話》 学校では教えない本当の古代史
(1)大和朝廷の最初の年号は大化か?
 ■『日本書紀』の三年号
 「大化」645~649年 「白雉」650~654年 「朱鳥」686年
 ■「改元」と「建元」 ※「建元」は王朝の最初の年号で、一回しかない。後は王朝が滅ぶまで「改元」が続く。
 大化改元(645年)、白雉改元(650年)、朱鳥改元(686年)『日本書紀』の三年号は全て「改元」とある。
 大宝建元(701年)『続日本紀』大宝以降は改元が連続して続き、令和に至る。
(2)「白鳳時代」「白鳳文化」の「白鳳」とは何か?
 「白鳳」(661~683年)は九州年号の一つ。九州年号は、「継体」元年(517年)から「大長」九年(712年)まで連続して続く。九州年号の中に「白雉」(652~660年)、「朱鳥」(686~694年)、「大化」(695~704年)がある。⇒『日本書紀』は他の王朝の年号(九州年号)を転用している。
(3)地名に遺された「九州」「太宰府」「内裏(大裏)」とは何か?
(4)金印(国宝)はなぜ志賀島(福岡市)から出土したのか?
 「漢委奴国王」を「かんのわのなのこくおう」とは読めない。⇒漢の委奴(ゐの)国王。
(5)博多湾岸に飛来する渡り鳥の名はなぜ「都鳥(ミヤコドリ)」なのか?
(6)古代中国の史書は倭国(日本国)をどのように記しているか?

〔『隋書』倭(俀)国伝の証言〕
 倭国王の名前は阿毎多利思北孤(アメ・タリシホコ)で男性(奥さんがいる)。太子の名前は利歌彌多弗利(リ・カミタフリ)。当時の大和朝廷の天皇は推古天皇で女性。隋の使者は倭国王に面会しており、倭国王が男か女かを見間違うとは考えられない。
 また、倭国には阿蘇山があり、隋使はその噴火を見ている。「阿蘇山あり。その石、故なくして火を起こし、天に接す。(有阿蘇山其石無故火起接天)」と記している。

〔『旧唐書』倭国伝・日本国伝の証言〕
 日本列島には倭国と日本国があり、両国は別の国とされている。「日本国は倭国の別種なり。(日本國者、倭國之別種也)」と記している。そして、「日本は旧(もと)小国、倭国の地を併(あ)わす。(日本舊小國、併倭國之地)」と記し、日本国(大和朝廷)が倭国(九州王朝)を併合したとある。古代の日本列島で王朝交替があった。
(7)中国史書と『日本書紀』はどちらが信用できるのか?
 勝者が自らのために創作した歴史書(『日本書紀』)は、〝容疑者の証言〟であり、そのまま証拠として採用してはならない。〝うらどり〟が必要。
 中国史書の倭国伝・日本国伝は、隣国の観察記録であり、言わば防犯カメラの録画のようなもの。精度の差はあるが、基本的に証拠として採用できる。


第2662話 2022/01/15

韓国の前方後円墳が意味するもの

 本日はi-siteなんばで「古田史学の会」関西例会が開催されました。午後は新春古代史講演会が開催されました。来月、2月19日(土)はドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。

 今回の例会は午前中だけのため、野田さんと大原さんによる三件の発表でした。その中で特に考えさせられたのが、大原さんによる韓国の前方後円墳についての考察でした。栄山江流域で発見が続いた前方後円墳について、その石室や副葬品から大和ではなく九州の勢力との関係が確実視されていることから、倭の五王の時代での九州王朝(倭国)の影響力や支配領域が韓半島に及んでいた痕跡と考えてきました。
 そうした見方に対して大原さんは「そこに前方後円墳があるからといって倭国の支配地とはならない。」とされ、その理由として日本列島内の「渡来人の施設が多く見られるところを他国の占領地とは考えない。」「また、列島に前方後円墳がある地域は、ヤマト王権の支配地だとは言い切れないのと同じこと」と指摘されました。言われてみればその通りです。韓国の前方後円墳について、もっと深く考察する必要を痛感しました。

 発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔1月度関西例会の内容〕
①津軽海峡の認識 (姫路市・野田利郎)
②栄山江流域の前方後円墳をどうとらえるか (大山崎町・大原重雄)
③天若日子が休息する胡床に関して (大山崎町・大原重雄)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 02/19(土) 10:00~17:00 会場:ドーンセンター


第2661話 2022/01/14

活字が大きくなった『九州倭国通信』No.205

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.205が届きました。同号には拙稿「文字文化が花開く弥生の筑紫」を掲載していただきました。拙稿は、近年発見が続く弥生時代の硯についての柳田康雄さんの「倭国における方形板石硯と研石の出現年代と製作技術」(『纒向学研究』第八号、2020年)と久住猛雄さんの「松江市田和山遺跡出土「文字」板石硯の発見と提起する諸問題」『古代文化』(Vol.72-1 2020年6月)を紹介したものです。
 同紙は、今号から活字が大きくなりました。ご高齢の読者にはありがたい改善です。これは「九州古代史の会」代表幹事(会長)に就任された工藤常泰さんの新たな取り組み成果の一つです。そのため、投稿規定の字数制限が厳しくなりましたが、わたしも協力させていただくことにし、拙稿の字数を従来よりも半減させました。資料の紹介や論証は要点のみに絞り込みましたが、読みやすい文章になったのではないかと思います。


第2656話 2022/01/07

令和4年新春古代史講演会1月15日

令和4年新春古代史講演会1月15日

令和四年新春古代史講演会の画期

 1月15日(土)に開催される新春古代史講演会は学問的に重要なテーマがお二人の講師により発表されます。それは七世紀後半における倭国の王都王宮に関する考古学と文献学のコラボ講演会と言えるもので、古田史学・多元史観にとって重要な仮説発表の場となるからです。演題と講師は次の通りです。

○「発掘調査成果からみた前期難波宮の歴史的位置づけ」 講師 佐藤隆さん(大阪市教育委員会文化財保護課副主幹)
○「文献学から見た前期難波宮と藤原宮」 講師 正木裕さん(大阪府立大学講師、古田史学の会・事務局長)

 佐藤隆さんは大阪歴博の考古学者として難波の発掘調査にたずさわられ、次の論文に代表される画期的な研究成果を発表されてきた考古学者です。

①「古代難波地域の土器様相とその歴史的背景」『難波宮址の研究 第十一 前期難波宮内裏西方官衙地域の調査』大阪市文化財協会、2000年。
②「難波と飛鳥、ふたつの都は土器からどう見えるか」『大阪歴史博物館 研究紀要』第15号、2017年。
③「難波京域の再検討 ―推定京域および歴史的評価を中心に―」『大阪歴史博物館 研究紀要』第19号、2021年。

 ①は土器の難波編年の論文で、『日本書紀』の記事に大きく依存している従来の飛鳥編年に比べて、年輪年代測定や干支木簡などの信頼性の高い資料に基づいて難波編年は暦年とリンクされており、特に七世紀では最も優れた編年です。
 ②は、七世紀後半の難波と大和の出土土器量などの比較により、『日本書紀』の記事と考古学出土事実が異なっていることを明言した画期的論文です。近年の考古学論文で最も優れたものとわたしは高く評価しています。
 ③は従来条坊の有無が不明だった前期難波宮の北西側に、基準尺が29.2cmで造営された条坊の存在を明らかにしたもので、難波宮の南側に広がる条坊の造営尺(29.49cm)とは異なり、前期難波宮造営尺(29.2cm)に一致しているとされた論文です。前期難波宮の条坊に異なる二つの基準尺が採用されていることが明らかとなりました。
 これらの佐藤さんの業績は素晴らしいもので、わたしたち古田学派にとっては、それではなぜ②や③の現象が発生したのかという疑問を抱き、多元史観・九州王朝説の視点から解明することが課題となります。講演会でそれらの問題解決のヒントが得られることを期待しています。
 佐藤さんの講演を受けて、正木さんからは難波京から藤原京への展開についての九州王朝説による最新研究が発表されます。佐藤さんが明示された考古学事実に、正木さんによる文献学によってどのような歴史像がを示されるのか、わたしは注目しています。古田史学ファンの皆さんや研究者には是非とも聞いていただきたい新春古代史講演会です。

《新春古代史講演会の概要》
◇日時 1月15日(土) 13時30分から17時まで
◇会場 i-site なんば(大阪府立大学なんばサテライト)
◇参加費 1,000円
◇主催(共催) 古代大和史研究会、和泉史談会、市民古代史研究会・京都、市民古代史研究会・東大阪、誰も知らなかった古代史の会、古田史学の会

講演掲載

多元史観と文献学(『書紀』の資料批判)から見た前期難波宮と藤原宮 正木裕

 
@27:17@DSCN9567
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なお、佐藤先生の講演には近日に論文発表される内容があり現在は公開できません。
(発表後、先生のご了解をいただければ公開も検討したいと思います。)

第2653話 2022/01/01

新年のご挨拶と令和三年の回想

 「古田史学の会」会員並びに「洛中洛外日記」読者の皆様に新年のご挨拶を申し上げます。
 昨年はコロナ禍にあっても感染対策に配慮しながら古代史講演会や関西例会を開催することができました。ご協力頂きました方々に深く感謝いたします。また、久冨直子さん、竹村順弘さん、横田幸男さんらのご尽力により、リモート例会参加システムの運用も軌道に乗り、YouTubeによる動画配信コンテンツも充実してきました。これらのコンテンツは「古田史学の会」ホームページ「新・古代学の扉」から閲覧できます。
 学問研究分野においても、古田史学・多元史観に基づく優れた諸仮説が会員から発表されました。なかでも『古田史学会報』に連載中の正木裕さんによる九州王朝通史は、古田学派の最新研究成果を取り入れたもので、古田先生の『古代は輝いていた』以来の本格的な通史です。いずれは書籍として刊行されるものと期待が高まっています。
 令和四年も古田史学の継承と発展、そして古田説を世に広めるための事業に取り組んでまいります。会員・友人の皆様のご協力をお願い申し上げ、新年のご挨拶といたします。


第2652話 2021/12/30

『多元』No.167に

「太宰府出土須恵器杯と律令官制」掲載

 本日、友好団体「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.167が届きました。同号には拙稿「太宰府出土須恵器杯と律令官制 ―九州王朝史と須恵器の進化―」を掲載していただきました。
 同稿は、七世紀後葉の編年基準土器とされている須恵器杯Bの発生が、律令官制とその中央政府の官衙群成立を主要因とするものであり、七世紀中葉頃に太宰府条坊都市で杯Bが最初に本格使用されたとする論理的仮説(注)を提起したものです。この仮説が成立すると、杯Bの編年が四半世紀~半世紀ほど遡ります。令和四年には、その新編年仮説を考古学的出土事実により証明したいと考えています。

(注)須恵器杯Bは蓋に擬宝珠状のつまみがあり、杯身の底部に脚(高台)を持つタイプの土器。九州王朝が律令により全国の評制統治を行うために恐らく数千人におよぶ中央官僚群が太宰府(倭京)や前期難波宮(難波京)で誕生し、卓上で勤務、食事をとるようになり、脚が付いて卓上に安定して置ける杯Bの採用が始まったとする仮説。


第2651話 2021/12/29

奈良新聞に〝「邪馬壹国九州説」有力〟の記事

 令和三年の最後を飾る素晴らしいプレゼントが竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)から届きました。12月28日付の奈良新聞です。
 その第4面(カラー)の一頁全てを使って〝「邪馬壹国九州説」有力 考古学・科学分析で確実に〟という見出しで(邪馬台国ではなく邪馬壹国と表記)、正木裕さん(大阪府立大学講師、古田史学の会・事務局長)の講演「改めて確認された博多湾岸の宮都」(12月14日、和泉史談会主催)が記事として掲載されているのです。同記事の冒頭には次のように紹介されています。

 「2021年もまもなく終わろうとしている。今年もコロナ禍で古代史関係の数多くのイベントや講演会が中止となった。そんな中、大人数ではなく、小規模な講演会が京阪奈では開催され続けてきた。その中の一つの講演会を追ってみた。(後略)」

 記事では正木さんの講演内容が鉛同位体分析グラフや博多湾岸の地図も使って丁寧に紹介されているほか、「2021年の古代史講演会」一覧も付されており、そこには古代大和史研究会(原幸子代表)、古田史学の会(古賀達也代表)、市民古代史の会・京都(山口哲也代表)、誰も知らなかった古代史の会(正木裕代表)、和泉史談会(辻野安彦代表)、市民古代史の会・東大阪(服部静尚代表)、市民古代史の会・八尾(服部静尚代表)の各会が主催した講演会の講師と演題が紹介されており、古田史学の会々員を初めとする研究者による関西各地での講演活動の記録となっています。
 古田先生の邪馬壹国説や九州王朝説が人々に受け入れられつつあることが紙面からうかがえるのですが、地元紙として邪馬台国畿内説を支持していても不思議ではない奈良新聞に、こうした古田説に基づく講演記事が大きく掲載されていることに驚くと共に、時代の変化を感じました(注)。
 あらためて各講演会の主催者の皆さんに感謝し、正木さんを初めとする講師の方々に敬意を表したいと思います。令和四年(2022年)はもっと良い年になりそうです。

(注)元橿原考古学研究所の関川尚巧氏は、奈良からは「邪馬台国」の痕跡は出土せず、考古学的にも北部九州にあったとする。
 関川尚功『考古学から見た邪馬台国大和説 ~畿内ではありえぬ邪馬台国~』梓書院、2020年。

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第2650話 2021/12/28

『古代史の争点』

(『古代に真実を求めて』25集)の初稿

 明石書店から『古代史の争点』(『古代に真実を求めて』25集)の初稿ゲラが送られてきました。特集の「古代史の争点」をタイトルとしたもので、邪馬壹国・倭の五王・聖徳太子・大化の改新・藤原京と王朝交代をテーマとする論文が収録されます。わたしは次の三稿を執筆しました。

○「邪馬台国」大和説の終焉を告げる ―関川尚巧著『考古学から見た邪馬台国』の気概―
○王朝統合と交替の新・古代史 ―文武・元明「即位の宣命」の史料批判―
○〔コラム〕北部九州から出土したカットグラスと分銅

 同書は来春発行予定です。どのような本に仕上がるのか楽しみにしています。


第2639話 2021/12/18

瓦と須恵器編年の「新ものさし」

 本日はi-siteなんばで「古田史学の会」関西例会が開催されました。新年1月15日(土)もi-siteなんばで開催します(参加費1,000円、午後は新春古代史講演会)。
 今回の発表で圧巻だったのが服部さんによる軒丸瓦と須恵器杯の編年研究でした。『日本書紀』の記事に基づいた飛鳥編年に代表される従来の編年に替えて、考古学的出土事実とその理化学的年代測定に準拠した須恵器杯の新編年「新しいものさし」を発表されました。今後も出土資料による修正がなされていくこととは思いますが、七世紀の遺構編年の基礎となる画期的な新編年案と思われました。
 この須恵器杯の〝服部編年〟は、わたしが進めている大宰府政庁の造営尺や古代山城の築城年代研究にも役立つものと注目しています。なお、同研究は12月10日に開催された大阪歴史学会考古学部会にて発表され、そこでも専門の考古学者から評価する意見が出されたとのことです。

 発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔12月度関西例会の内容〕
①盗まれた代表王朝の坐 (東大阪市・萩野秀公)
②斉明天皇の「狂心」 (茨木市・満田正賢)
③天孫降臨と天児屋命と伽耶 (大山崎町・大原重雄)
④瓦と須恵器、3つの提起 (八尾市・服部静尚)
⑤『隋書』に採録されている遣隋使の記事(京都市・岡下英男)
⑥「京師を去る万四千里」とは (姫路市・野田利郎)
⑦六世紀末の九州王朝の東国への進出と支配 (川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 01/15(土) 10:00~12:00 会場:i-siteなんば
      ※午後は恒例の新春古代史講演会。

◎新春古代史講演会 参加費1,000円 共催:古田史学の会、他
◇日時 1月15日(土) 13時30分から17時まで
◇会場 i-site なんば(大阪府立大学難波サテライト)
◇演題と講師
 「発掘調査成果からみた前期難波宮の歴史的位置づけ」 講師 佐藤隆さん(大阪市教育委員会文化財保護課副主幹)
 「文献学から見た前期難波宮と藤原宮」 講師 正木裕さん(大阪府立大学講師、古田史学の会・事務局長)
◇参加費 1,000円
 ※午前中は古田史学の会・関西例会。


第2635話 2021/12/13

『古田史学会報』167号の紹介

 『古田史学会報』167号が発行されましたので紹介します。一面には拙稿〝「あま」姓の分布と論理 ―宮崎県の「阿万」「阿萬」姓と異形前方後円墳―〟を掲載していただきました。宮崎県西都原古墳群の周辺に「あま」姓の濃密分布があることと九州王朝との関係についての推論です。

 このわたしの説の問題点を指摘し、他の可能性について論じたのが日野稿です。わたしは、「学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる」「学問とは自説が時代遅れになることを望む領域」との信念を持っていますので、拙稿と日野稿を併載することを西村さんに要請したものです。日野さんの指摘をよく勉強した上で、返答できればと考えています。いずれにしても、鋭く優れた指摘や批判はありがたいことです。

 平田稿は久しぶりの掲載となりました。この他にも掲載待ちになっている採用稿があります。順次掲載していきます。
167号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』167号の内容】
○新春古代史講演会のお知らせ
◇日時 1月15日(土) 13時30分から17時まで
◇会場 i-site なんば(大阪府立大学難波サテライト)
◇演題と講師
「発掘調査成果からみた前期難波宮の歴史的位置づけ」 講師 佐藤隆さん(大阪市教育委員会文化財保護課副主幹)
「文献学から見た前期難波宮と藤原宮」 講師 正木裕さん(大阪府立大学講師、古田史学の会・事務局長)
◇参加費 1,000円
○「あま」姓の分布と論理 ―宮崎県の「阿万」「阿萬」姓と異形前方後円墳― 京都市 古賀達也
○九州王朝と「アマの長者」と現代の〝阿万〟氏 たつの市 日野智貴
○服部静尚氏の「倭国による初めての遣唐使」説への疑問 神戸市 谷本 茂
○「壬申の大乱」に秘められた謎を解く一作業仮説 大津市 平田文男
○「壹」から始める古田史学・三十三
多利思北孤の時代Ⅹ ―多利思北孤と九州年号と「法興」年号― 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○荊木美行『東アジア金石文と日本古代史』斜め読み 京都市 古賀達也
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○会費納入のお願い
○『古田史学会報』原稿募集
○古田史学の会・関西例会のご案内
○各種講演会のお知らせ
○会誌『古代に真実を求めて』九州王朝説五十周年に向けた論議をすすめましょう。 『古代に真実を求めて』編集部
○編集後記 西村秀己