第1699話 2018/06/27

五重塔「創建基壇」の階段

 「観世音寺古図」と『観世音寺資財帳』や出土遺構の不一致について説明してきましたが、それでも伽藍配置の一致や五重塔の二重基壇など「古図」が創建観世音寺の姿を伝えていると思われる部分があり、わたしは「古図」を重視しています。従って、塔基壇の階段についても創建五重塔には「古図」と同様に四面にそれぞれ階段が付設されていたのではないかと推定しています。
 というのも、東西に階段があったとした発掘調査に基づく見解は有力ですが、それはⅡ期の基壇とされており、創建時のⅠ期基壇については考古学的調査では階段の数は解明されていません。そこで創建時の五重塔基壇の階段の数を推定できるのは、『観世音寺資財帳』に記された五重塔の「戸」の数を四カ所とする記録です。すなわち五重塔には東西南北に「戸」があったと考えられ、そうであれば各「戸」の前にはそれぞれ出入りのための階段があったと考えるのが穏当のように思われるのです。この推定は「古図」に描かれた五重塔の姿と一致しますから、このことは「古図」に描かれた五重塔は創建時の姿を示していることを意味します。
 観世音寺の各伽藍は破損と再建を繰り返した考古学的痕跡やそのことを記した史料があります。しかし五重塔だけは基壇に修復した痕跡(地覆石)が出土していますが、建物は火災で焼失した後に再建されたとする史料や考古学的痕跡はありません。基壇には修復されたⅡ期があることから、恐らくⅠ期基壇の外側部分が何らかの事情で破損し、修復されたものと思われます。そしてその修復時に四つあった階段は1箇所(西辺)か2箇所(東辺と西辺)に減らされたのではないでしょうか。
 五重塔基壇の面積が建物よりも大きく不自然であることを指摘され、広い基壇に対応した大きな五重塔が創建時にあったとする大越説に対して、わたしは「古図」に描かれた二重基壇の五重塔を根拠に、基壇と建物の面積のアンバランスを二重基壇説によって説明できるとしました。いずれの説も仮説として成立(問題点を説明できる)していますから、これからの研究の進展に期待したいと思います。

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