第1813話 2019/01/01

新年の読書『職業としての学問』(1)

 みなさま、あけましておめでとうございます。

 年末から2019年の研究テーマなどを考えてきました。そして、古代史研究の他に、古田先生の「学問の方法」について、わたしが学んできたことや感じてきたことなどを「洛中洛外日記」などで紹介することをテーマの一つとすることにしました。
 古田先生の「学問の方法」については少なからぬ人が今までも述べてこられました。例えば昨年11月に開催された「古田武彦記念古代史セミナー」では大下隆司さん(古田史学の会・会員、豊中市)が具体的にレジュメにまとめて発表されており、参考になるものでした。特に次の4点を紹介され、わたしも深く同意できました。

 古田先生の〝わたしの学問の原点〟
(一)学問の本道は、あくまでソクラテス、プラトンの学問とその方法論にある。
(二)論理の導くところに行こうではないか、たとえそれがいずこに到ろうとも。
(三)「師の説にななづみそ」(先生の説にとらわれるな)(本居宣長)
(四)自己と逆の方向の立論を敢然と歓迎する学風。

 いずれも古田先生から何度も聞かされてきた言葉であり、先生の研究姿勢でした。セミナーでは質疑応答の時間が限られていましたので、この4点については賛意を表明しただけで質問は差し控えました。しかし、わたし自身もまだよく理解できていないのが(一)の〝学問の本道は、あくまでソクラテス、プラトンの学問とその方法論にある。〟でした。先生がこのように言われていたのはよく知っているのですが、〝ソクラテス、プラトンの学問とその方法論〟とは具体的に何を意味するのか、どのような方法論なのか、わたしは古田先生から具体的に教えていただいた記憶がありません。
 もしあるとすれば、(二)の〝論理の導くところに行こうではないか、たとえそれがいずこに到ろうとも。〟です。この言葉は古田先生の広島高校時代の恩師である岡田甫先生から講義で教えられたというソクラテスの言葉だそうです。ただ、プラトン全集にはこのような言葉は見つからないとのことでした。恐らくソクラテスの思想や学問を岡田先生が意訳したものと古田先生は考えておられました。わたしも『国家』や『ソクラテスの弁明』など数冊しか読んだことはありませんが、そのような言葉とは出会ったことがありません。ご存じの方があれば、是非、ご教示ください。
 こうした問題意識をずっと持っていましたので、この正月休みにプラトンの『国家』とマックス・ウェーバーの『職業としての学問』を久しぶりに読みなおしました。(つづく)

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