第1430話 2017/06/23

本居宣長「師の説にななづみそ」

 「師の説にななづみそ。本居宣長のこの言葉は学問の金言です。」と、わたしは古田先生から教えられてきました。古くからの古田ファンの方なら、講演会などで古田先生からこの話を聞かれたことがあるのではないでしょうか。
 六月の「古田史学の会」関西例会で正木裕さん(古田史学の会・事務局長)のレジュメにこの言葉が記された本居宣長の『玉勝間』を紹介されていましたので、とても懐かしく思いました。学問を志す上で素晴らしい言葉ですので、その部分を転載します。
 なお、付言しますと、ある時期から古田先生はこの話をあまりされなくなりました。それは『東日流外三郡誌』などの和田家文書偽作キャンペーンが熾烈を極めた頃です。
 「古田先生は和田喜八郎氏にだまされている」「古田古代史は支持するが、和田家文書は偽作で支持しない」というような声が古田先生の支持者や「弟子」らの中から次々とあがり、そうした人々が先生から離反していきました。わたしが「兄弟子」として慕っていた人々の多くが古田先生を裏切り、偽作キャンペーン側についたり、“だんまり”“日和見”を決め込んだりしたのです。そのとき彼らは、「師の説にななづみそ」という言葉を自ら行為の「免罪符」に使いました。
 まだ若かったわたしは、あれだけお世話になった先生をこんな簡単に人々は裏切るのかと愕然としました。いわば、その人々は「師の説になづまず、他の人になづんだ」(中小路駿逸先生談)のでした。その頃から、古田先生はこの本居宣長の言葉をほとんど口にされなくなりました。わたしは今でも本居宣長のこの言葉は古田先生から教えられたとおり「学問の金言」と信じていますが、同時に古田学派にとって運命に翻弄された言葉でもあるのです。

 本居宣長『玉勝間』巻の二
師の説になづまざる事
 おのれ古典をとくに、師の説とたがへること多く、師の説のわろきことあるをば、わきまへいふこともおほかるを、いとあるまじきことと思ふ人おほかめれど、こはすなわちわが師(賀茂真淵)の心にて、つねにをしへられしは、後によき考への出来たらんには、かならずしも師の説にたがふとて、なはゞかりそとなむ、教へられし、こはいとたふときをしへにて、わが師のよにすぐれ給へる一つなり、
 (中略)
 吾(本居宣長)にしたがひて物まなばむともがらも、わが後に、又よきかむかへのいできたらむには、かならずわが説にななづみそ、わがあしきゆゑをいひて、よき考へをひろめよ、すべておのが人ををしふるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用ふるには有りける、道を思はで、いたずらにわれをたふとまんは、わが心にあらざるぞかし、

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