第2553話 2021/09/02

『多元』No.165の紹介

 本日、友好団体「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.165が届きました。前号の「太宰府、「倭の五王」王都説の検証 ―大宰府政庁編年と都督の多元性―」に続いて、「倭の五王」の王都をテーマとした拙稿「太宰府、「倭の五王」王都説の限界 ―九州大学「坂田測定」の検証―」を掲載していただきました。
 本年11月に開催される、「倭の五王」をテーマとする〝八王子セミナー2021〟のために執筆したものですが、同セミナーでの実りある論議を期待して、事前にわたしの考えを明示し、考古学的事実の情報共有化を目指しました。なお、『多元』を読まれていない参加者のために、同セミナー「予稿集」に当該論稿を資料として掲載したいと考えています。
 本号掲載の論稿で、〝これは面白いな〟と思ったのが安彦克己さん(東京都港区)の「『和田家文書』で読む『渡島(渡嶋)』」でした。安彦さんの検証によれば、「和田家文書」に見える「渡島(渡嶋)」は「おしま」と訓まれており、北海道のこととされました。
 『日本書紀』などにも「渡嶋」が見えますが、こちらについては下北半島(宇曽利・糠部地方)にあった「渡嶋(わたりしま)」とする合田洋一さんの研究(注)が著書『地名が解き明かす古代日本』にあり、通説の北海道説を批判されています。この合田説は詳細な地名調査などに基づいており、通説よりも有力とわたしは評価してきました。しかし、今回の安彦さんの検証結果が異なっていたので、興味深く思ったしだいです。
 合田さんは『地名が解き明かす古代日本』で、〝この『東日流外三郡誌』では「渡嶋」を北海道としている。これについては、この書は寛政年間つまり江戸時代中期に、史料収集・編纂されたものであり、編者の秋田孝季・和田長三郎吉次の歴史観によるところが大きい。そのため、六国史の「渡嶋」を北海道と見なしたものと考える。〟(141頁)とされています。
 もしかすると、「渡嶋(おしま)」と「渡嶋(わたりしま)」は漢字では共に「渡嶋」ですが、本来は異なる時代の異なる地域だったのでしょうか。安彦さんや合田さんにより、和田家文書や「渡嶋」研究が更に深まることを願っています。

(注)合田洋一「第I部 渡嶋と粛慎 ―渡嶋は北海道ではない―」『地名が解き明かす古代日本 ―錯覚された北海道・東北―』ミネルヴァ書房、2012年。

フォローする