第2715話 2022/04/09

万葉歌の大王 (4)

 ―「大王≠天子」説批判の先行説―

 「洛中洛外日記」2714話(2022/04/08)〝万葉歌の大王 (3) ―中皇命への献歌「やすみしし我が大王」―〟での拙論、『万葉集』3番歌(注)に見える「我が大王」を九州王朝の天子「中皇命」とする見解には先行説がありました。それは正木裕さん(古田史学の会・事務局長)が2013年に関西例会で発表された〝万葉三番歌と「大王≠天子」について〟です。そのときのレジュメを正木さんからいただきましたので紹介します。
 正木さんは古田万葉論について「画期的な古田氏の万葉三番歌の解釈」と高く評価された上で、「九州王朝の天子は大王と呼ばれていた」とされました。そしてその理由として次のように指摘されています。

〝中国の名分では天子は唯一の存在で、夷蛮の王は高々大王だが、九州王朝の天子多利思北孤は自ら「天子」を称していた。また伊予温湯碑では「法王大王」とある。また、『後漢書』では「大倭王」とされているから天子=大王だ。
 そして「大王≠天子」なら、万葉歌には「大王」「王」「皇」などはあっても「天子」は存在しないから、九州王朝の天子を歌った万葉歌は存在しないこととなる。〟

 この指摘には説得力があります。そして結論として正木さんは次のように述べられました。

〝万葉三番歌は、九州王朝の天子「中皇命」が大宰府近郊の「内野」で猟を行った時に臣下の「間人連老」が奉った歌となるのだ。〟

 この結論にわたしも賛成です。なお、正木さんは「朝庭」と「夕庭」は通説通り、「あしたには」「ゆうべには」と訓むべきとされました。この点については必ずしも反対ではありませんが、古田説のように「みかどには」「きさきには」と訓んでもよいと思います。ただし、その場合の「朝(みかど)」「夕(きさき)」は人の呼称とするよりも、本来は天子と皇后の居所の名称とわたしは考えています。たとえば「お殿様」「御屋形(親方)様」「東宮様(皇太子のこと)」などが、権力者の居所名をその権力者の呼称とした用例です。ですから、「きさき」の語源も皇后の居所に由来するのではないかとわたしは推測しています。
 いずれにしても、この歌の「大王」を舒明とする古田先生の解釈は、題詞に見える「天皇」を舒明としたことによるもので、歌そのものからの解釈とは言い難いという点で、正木説は拙論の先行説ということができます。(つづく)

(注)『万葉集』三番歌
 「やすみしし 我が大王の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり」
〔題詞〕天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌
〔原文〕八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里

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