第1387話 2017/05/07

服部論文(飛鳥編年批判)への賛否を

 『日本書紀』等の暦年記事を「是」として土器の相対編年とリンクさせて成立している、いわば一元史観による土器編年である飛鳥編年が、考古学界では不動の通念となっています。それに代わる九州王朝説・多元史観に基づく新たな太宰府土器編年を構築するべく、わたしは鋭意検討を進めています。
 他方、古田学派の中には未だ一元史観に基づく飛鳥編年により、前期難波宮の造営年代を660年以降と見なす論者もおられます。学問研究ですから様々な意見があってもかまわないのですが、飛鳥編年の根拠が脆弱で、基礎データにも誤りがあるとする論文が古田学派内から既に発表されていますので、改めてご紹介しておきたいと思います。
 それは服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の論稿「須恵器編年と前期難波宮 -白石太一郎氏の提起を考える-」(『古代に真実を求めて』17集。古田史学の会編、明石書店。2014年)です。服部さんは金属工学がご専門で、データ解析処理なども得意とされています。同論文では飛鳥編年の根拠とされた須恵器の外径の測定値が誤っていることや、サンプル母集団の問題点などが具体的に指摘されています。あわせて『日本書紀』の暦年記事の年代の問題点も古田説など多元史観に基づいて批判もされています。
 同論文に先立ち、服部さんはその研究報告を「古田史学の会・関西例会」でも発表されていました。しかしその後、それに対する賛否も意見もないまま、飛鳥編年を「是」とする意見が出されています。自説への批判を求めた、facebookに寄せられた服部さんのメッセージの一部を転載します。前期難波宮造営時期を660年以降とする論者からの真摯なご批判を期待しています。

【服部さんのメッセージの転載】
 飛鳥編年でもって七世紀中頃(孝徳期)造営説を否定した白石太一郎氏の論考「前期難波宮整地層の土器の暦年代をめぐって」があります。私はこの白石氏の論考批判を、「古代に真実を求めて第十七集」に掲載してもらったのですが、この内容についてはどなたからも反応がありません。こき下ろしてもらっても結構ですので批判願いたいものです。
 白石氏の論考では、①山田寺下層および整地層出土土器を上宮聖徳法王帝説の記事より641年とし、②甘樫丘東麓焼土層出土土器を乙巳の変より645年とし、③飛鳥池緑粘砂層出土土器を655年前後とし、④坂田寺池出土土器を660年代初めとし、⑤水落貼石遺構出土土器を漏刻記事より660年代中から後半と推定して、前期難波宮の整地層と水利施設出土の土器は④段階のものだ(つまり660年代の初め)と結論付けたものです。
 氏は①〜⑤の坏H・坏G土器が、時代を経るに従って小径になっていく、坏Gの比率が増えていくなどの差があり、これによって10年単位での区別が可能であるとしています。
 私の論考を読んでいただければ判ってもらえますが、小径化の傾向・坏HおよびGの比率とも、確認すると①〜⑤の順にはなっていないのです。例えば①→②では逆に0.7mm大きくなっていますし、②→③では坏Hの比率がこれも逆に大きくなっています。白石氏のいうような10年単位での区別はできないのです。だから同じ上記の飛鳥編年を用いても、大阪文化財協会の佐藤氏は②の時期とされています。(以下略)

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