第1875話 2019/04/14

『法隆寺縁起』に記された奉納品の不思議(7)

 『法隆寺縁起』に記された献納品に付記された「丈六分」や「佛分」について、加藤健さん(古田史学の会・会員、交野市)から貴重なご意見をいただきました。それは次のような内容でした。

① 「丈六分」とあるからには、高さが丈六の佛像と考えるべきで、釈迦三尊像では寸法があわない。丈六佛が当時は存在していたのではないか。
② 経典に釈迦のことを「佛」と記す例は多く、「佛分」とあるのが釈迦三尊像を指すのではないか。
③ 光明皇后による「二月廿二日」の施入の目的や法隆寺の性格は古賀説(多利思北孤鎮魂の寺)でよい。

 この加藤さんのご意見は有力で、わたしも同様の可能性について考えました。しかし『法隆寺縁起』の他、当時の史料から法隆寺に丈六佛があったとする痕跡が見つからないことと、伝染病(天然痘)の猛威という国家的災難に対して、「二月廿二日」に施入していることから、法興32年(622)「二月廿二日」に崩御した上宮法皇をモデルとした「等身佛(尺寸の王身)」との銘文を持つ釈迦三尊像こそ施入対象の冒頭に記された「丈六分」と解さざるを得ないと考えたからです。
 そこで問題となるのが、加藤さんも指摘されたように「丈六」という仏像の高さを示す表記をどのように考えるのかということでした。当初、わたしは「丈六」というのは釈迦の身長を意味し、「丈六」という言葉そのものに「釈迦像」という意味を有していたと考えました。ところが、正木さんから釈迦三尊像は「丈六佛」ではなく「等身佛」であるとのご指摘を受けて深く考え、改めて調査したところ、同釈迦像は「周半丈六佛」であることに気づきました。
 佛像の大きさの基準として、仏典に見える釈迦の身長「丈六」(1丈6尺:約4.8m、座像の場合は約2.4m)と同じ佛像は丈六佛と呼ばれ、その半分の高さの佛像は「半丈六」とされます。更にその4分の3の尺度である「周尺」に基づいた佛像を「周丈六」(1丈6尺:約3.6m、座像の場合は約1.8m)と呼ばれ、その半分の「周半丈六」の座像は約0.9mとなります。法隆寺釈迦三尊像の釈迦像の身長(座像高)は0.875mですから、ほぼ一致します。ですから、この「周半丈六」を「丈六」と当時の法隆寺では呼ばれていたのではないでしょうか。
 以上のようにわたしは考えていますが、この場合、「周半丈六」という言葉や概念が7世紀前半頃に存在していたことを証明しなければなりませんが、今のところ史料根拠を発見できていません。ですから、このわたしの仮説は不安定なものです。先の加藤さんのご意見とどちらが良いのか、あるいはもっと優れた仮説があるのかを考えたいと思います。なお、同釈迦像を「周丈六像」とする見解を山田春廣さん(古田史学の会・会員)が同氏のホームページ「sanmaoの暦歴徒然草」(2019.04.12)で詳しく発表しておられましたので、意を強くしました。(つづく)

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