第2062話 2020/01/11

久しぶりの「銅鐸博物館」(滋賀県野洲市)訪問

 先日、数年ぶりに滋賀県野洲市にある「銅鐸博物館」を訪れました。交通の便はあまり良くありませんが、古代史ファンには是非訪れて欲しい博物館の一つです。野洲市からは国内最大の銅鐸を始め大量の銅鐸が出土しており、同館には多くの銅鐸が展示されています。
 弥生時代の二大青銅器圏の一つ、銅鐸圏の王権についての研究は『三国志』倭人伝のような史料がありませんから、その全容は謎のままです。古田説によれば神武東征を史実とされています。すると、『古事記』『日本書紀』の神武東征説話などに銅鐸圏の王者と思われる人物が見えます。『古代に真実を求めて』23集に掲載予定の拙稿「神武東征譚に転用された天孫降臨神話」にも記していますが、神武記の東征説話に見える、神武と戦った登美毘古こそ銅鐸圏の有力者と思われます。拙稿では神武東征記事中の「天神御子」説話は天孫降臨神話からの転用であることを論証しましたが、登美毘古との戦闘記事は「天神御子」説話ではないことから、神武等と銅鐸圏勢力との戦闘であると考えられます。
 同様に古田先生が『盗まれた神話』で論証されたように、垂仁紀に見える「狭穂彦王・狭穂姫命」も銅鐸圏の王者であることから、銅鐸圏では「地名+ヒコ(ヒメ)」が王者の名称として使用されていたようです。従って、弥生時代の武器型祭器圏と銅鐸圏はともに「ヒコ(ヒメ)」などの倭語(古代日本語)を使用していたことがわかります。更に、磯城県主(しきのあがたぬし)などの大和盆地内の豪族名から、その行政単位に九州王朝と同じ「県」が使用されていたことも推定できます。
 このように『古事記』『日本書紀』などを根拠とした、銅鐸圏の実態解明が期待できます。どなたか多元史観・古田史学による本格的な銅鐸圏研究をされませんか。

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