第1329話 2017/01/28

水戸藩と新井白石と九州年号

 今日、放送されたNHKの番組「ブラタモリ」で水戸藩や水戸光圀の業績が紹介されていました。弘道館や偕楽園などとともに、中でも光圀が編纂させた『大日本史』約400巻が250年かけて完成したことなどが紹介され、勉強になる番組でした。
 『大日本史』で思い出したのですが、江戸時代の学者新井白石は、当初、水戸藩による『大日本史』編纂事業に期待していたようですが、後にその内容に失望し、友人の佐久間洞巌に次のような厳しい手紙を出しています。

 「水戸でできた『大日本史』などは、定めて国史の誤りを正されることとたのもしく思っていたところ、むかしのことは『日本書紀』『続日本紀』などにまかせきりです。それではとうてい日本の実事はすまぬことと思われます。日本にこそ本は少ないかもしれないが、『後漢書』をはじめ中国の本には日本のことを書いたものがいかにもたくさんあります。また四百年来、日本の外藩だったとも言える朝鮮にも本がある。それを捨てておいて、国史、国史などと言っているのは、おおかた夢のなかで夢を説くようなことです。」(『新井白石全集』第五巻518頁)

 また新井白石は九州年号のことを知っていて、やはり水戸藩の友人の安積澹泊に次のような手紙を出しています。

 「朝鮮の『海東諸国紀』という本に本朝の年号と古い時代の出来事などが書かれていますが、この年号はわが国の史書には見えません。しかしながら、寺社仏閣などの縁起や古い系図などに『海東諸国紀』に記された年号が多く残っています。干支などもおおかた合っているので、まったくの荒唐無稽、事実無根とも思われません。この年号について水戸藩の人々はどのように考えておられるのか、詳しく教えていただけないでしょうか。
 その時代は文字使いが未熟であったため、その年号のおおかたは浅はかなもので、それ故に『日本書紀』などに採用されずに削除されたものとも思われます。持統天皇の時代の永昌という年号も残されていますが(那須国造碑)、これなども一層の不審を増すところでございます。」(『新井白石全集』第五巻284頁)

 この手紙に対する返事は『新井白石全集』には収録されていませんので、水戸藩の学者が九州年号に対してどのような見解を持っていたのかはわかりません。『大日本史』に九州年号が記されているか、一度読んでみることにします。新井白石は諸史料に見える九州年号を実在していたと考えており、さすがは江戸時代を代表する学者だと思いました。
 この新井白石の九州年号に対する認識を示した書簡については、拙稿「『九州年号』真偽論の系譜」で紹介し、日本思想史学会(京都大学)でも発表したことがあります。同論文は『「九州年号」の研究』や「古田史学の会」HPに収録していますのでご覧いただければ幸いです。なお、『新井白石全集』は京都大学文学部の図書館で閲覧させていただきました。

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