第2323話 2020/12/16

新井白石の学問(1)

 小林秀雄さんの『本居宣長』を読んでいますと、段の「三十一」に新井白石(1657~1725年)について紹介されていました。そこには安積澹泊(あさか たんぱく、1656~1738年)や佐久間洞巌(さくま どうがん、1653~1736年)の名前が見え、懐かしく思いました。二十年ほど前に九州年号研究史の調査をしていたとき、京都大学文学部図書館で新井白石全集を読んだのですが、そのときに知った名前です。その調査に基づいて〝「九州年号」真偽論の系譜 新井白石の理解をめぐって〟(注①)を発表しました。
 白石は九州年号真作説ですが、九州年号を『日本書紀』から漏れた大和朝廷の年号と理解していました。ちなみに、偽作説の急先鋒だったのが筑前黒田藩の儒家、貝原益軒(1630~1714年)でした。江戸時代の方が九州年号について自由に学問的に論議しており、現在の学界とは大違いです。
 白石は九州年号について、水戸藩の知人、安積澹泊宛書簡で次のように問い合わせています。

 「朝鮮の『海東諸国紀』(注②)という本に本朝の年号と古い時代の出来事などが書かれていますが、この年号はわが国の史書には見えません。しかしながら、寺社仏閣などの縁起や古い系図などに『海東諸国紀』に記された年号が多く残っています。干支などもおおかた合っているので、まったくの荒唐無稽、事実無根とも思われません。この年号について水戸藩の人々はどのように考えておられるのか、詳しく教えていただけないでしょうか。
 その時代は文字使いが未熟であったため、その年号のおおかたは浅はかなもので、それ故に『日本書紀』などに採用されずに削除されたものとも思われます。持統天皇の時代の永昌という年号も残されていますが(那須国造碑)、これなども一層の不審を増すところでございます。」(『新井白石全集』第五巻、284頁。古賀による現代語訳)

 このように、九州年号を偽作として無視する現代の日本古代史学界よりも、江戸時代の白石の姿勢の方が学問的態度ではないでしょうか。(つづく)

(注)
①古賀達也「『九州年号』真偽論の系譜 新井白石の理解をめぐって」(『古田史学会報』60号、2004年2月5日)。後に『「九州年号」の研究』(古田史学の会編、2012年、ミネルヴァ書房)に転載。
②『海東諸国紀』(申叔舟著、1471年)には次の九州年号が記されている。
 「善化」「発倒」「僧聴」「同要」「貴楽」「結清」「兄弟」「蔵和」「師安」「和僧」「金光」「賢接」「鏡當」「勝照」「端政」「従貴」「煩転」「光元」「定居」「倭京」「仁王」「聖徳」「僧要」「命長」「常色」「白雉」「白鳳」「朱雀」「朱鳥」「大和」「大長」(『海東諸国紀』岩波文庫)

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