第1644話 2018/04/08

百済伝来阿弥陀如来像の流転(6)

 観世音寺寺域から出土した百済系単弁軒丸瓦を根拠に、観世音寺に先だって建立された「仮設寺院」に観世音寺の本尊となる百済伝来阿弥陀如来像が安置されていたとする作業仮説(思いつき)に至りましたが、それではその「仮設寺院」は何と呼ばれていたのでしょうか。また、百済系単弁瓦の編年において、一元史観の通説では7世紀後半から7世紀末とされているのですが、この問題について更に深く考えてみました。
 まず寺院名ですが、素人判断では阿弥陀如来像を本尊とするのであれば観世音寺では不自然な気がします。観世音寺であれば観世音菩薩像を本尊にしてほしいところです。しかしながら観世音寺の本尊が阿弥陀如来像であったことは文献に見えており、疑えません。したがって、現時点では「仮設寺院」の名称は不詳とせざるをえません。
 次に「仮設寺院」の創建年代ですが、わたしの説に対応させるのであれば、創建観世音寺が白鳳10年(670)ですから、「仮設寺院」は百済系単弁瓦の編年から7世紀前半頃となるのですが、実は本テーマを執筆していてもう一つの可能性にも言及する必要があることに気づきました。それは通説の編年観に立った場合、観世音寺寺域に先在した百済系単弁瓦の「仮設寺院」が、『二中歴』や『勝山記』などに白鳳10年に創建されたとある「観世音寺」ではなかったかという可能性です。もしそうであれば、いわゆる天智により発願された観世音寺はその「仮設寺院」を取り壊して、同じ場所に造営された創建観世音寺(完成は8世紀前半とする)ということになります。これですと、通説の編年と矛盾無く整合します。
 この問題の鍵は百済系単弁瓦が九州王朝(倭国)で7世紀後半まで採用されたのか否かというテーマとも関連しており、引き続き検討を続けたいと思います。

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