第1568話 2018/01/07

評制施行時期、古田先生の認識(4)

 行政区画としての評制が7世紀中葉に九州王朝で始まったとする古田先生の理解(時期については通説も同様)が妥当であることを、わたしは「文字史料による『評』論 — 『評制』の施行時期について」(『古田史学会報』119号、2013年12月)で具体的な史料を明示して説明しました。更に同論稿を改訂した「『評』を論ず 評制施行時期について」を『多元』に昨年末に投稿しました。そこでは、評制施行が記された古代史料は全てその時期を7世紀中頃としており、それ以外の時期に評制を施行したとする史料は無いことを指摘しました。従って、一元史観であろうと多元史観・九州王朝説であろうと、史料根拠に基づく限り、評制施行時期は古田先生の理解通り、7世紀中頃と考えざるを得ないのです。
 他方、古田先生は九州王朝の行政区画「評制」(「国・評・里」制)における、「評」という用語の淵源が中国や朝鮮半島諸国の「官職名」に由来することも説明されました。通説でも、朝鮮半島諸国にあった「評」という官職名や行政組織名が、倭国の行政区画「評制」の「評」という字の淵源と説明しています。しかし、両者は性格が異なります。中国や朝鮮半島諸国では「官職名」「行政組織」を意味し、日本列島では行政区画として地名とのセット(例:筑前国糟屋評など)で使用されています。従って、日本古代史学において「評制」と言う場合は後者を意味しますし、古田先生もそのように理解されています。(つづく)

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