第1611話 2018/02/22

福岡市で「邪馬台国」時代のすずり出土(4)

 今回の比恵遺跡群からのすずり出土報道には、「邪馬台国」畿内説にあわせる為にその時代を「古墳時代」に変更するという非学問的な問題とともに、もう一つの学問の本質に深く関わる問題があります。それは「弥生時代」とか「古墳時代」という時代区分の名称の付け方に関する問題です。
 現代日本の歴史学において、古代の時代区分として、「(新・旧)石器時代」「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」「飛鳥時代」「奈良時代」などという区分名が一般的に使用されています。現時点でこれらを見ると、その名称に材質(石)が使われたり、土器の文様(縄文)、土器出土地名(弥生)、お墓の形式(古墳)、そして権力者の所在地名(飛鳥・奈良)が使われたりと、統一性も一貫性も全くありません。こうした「雑多」な区分名に対して、古田先生は九州王朝説や多元史観に基づく新たな時代区分の命名が必要と考えられていました。
 もちろん、学問の発展段階や人間の認識の発展段階にはその時々に多くの制約がありますから、その時点では学者たちが考え抜いて命名し、徐々に学界や社会に受け入れられ定着したことを疑えません。ですから、時代区分名が雑多で一貫性が無くても、そのこと自体は責めることができないと思います。しかし、現在の学問水準、すなわち多元史観・九州王朝説という画期的な学説が登場したからには、少なくともわたしたち古田学派は「戦後型皇国史観」時代に使用された名称に代わる、「多元史観」時代にふさわしい時代区分名称を検討提案しなければならないと、わたしは考えています。今回のすずり出土記事が、この学問の本質にも関わる重要問題を考えるきっかけになればと願っています。(おわり)

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