第1915話 2019/06/07

天道法師の従者の子孫

 天道法師伝承の文献調査を進めています。江戸時代末期(安政六年・1859年)に成立した聞書集、対馬の人、中川延良著の『楽郊紀聞』(らくこうきぶん)を久しぶりに精読したところ、天道法師が都から帰るときに同行した従者の家系についての次の記述がありました。

 「同村(豆酘郷)、観音住持が家は、主藤氏也。外の供僧の内に、本石氏あり。此両氏は、天童法師京より帰る時随ひ来りし家なりと云。年代詳(つまびらか)ならずといへ共、天智天皇といへば、先(まづ)格別の違ひなし、と住持申せしと也。此住持が家は、佐護村の観音住持が家と、両家は寺社奉行支配の由也。」(東洋文庫『楽郊紀聞』2、平凡社。110頁)

 天道法師出身地の豆酘で「観音住持」する主藤家と本石家が、天道法師帰郷時に都(太宰府)から随った従者(僧か)の末裔とされています。幕末頃の記録『楽郊紀聞』に記されているのですから、現在も両家の御子孫が当地におられるのではないでしょうか。
 なお、「年代詳(つまびらか)ならずといへ共、天智天皇といへば、先(まづ)格別の違ひなし」とあることから、天智天皇の頃というだけで、詳細な帰郷年次などは既に両家にも伝わっていないようです。
 更に次の記事が続きます。

 「同じ住持は、天童最初上京の時に従ひ来る。本石氏は、二度目の上京の時に、一軒従ひ来る。夫より段々分家したると也。」(同、110頁)

 天道法師伝承では上京は一回だけですが、ここでは「二度」と記されています。やはり現地調査が必要なようです。

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