第2324話 2020/12/16

新井白石の学問(2)

 古田先生の九州王朝説は、主に『隋書』や『旧唐書』などの歴代中国史書を史料根拠として成立しています。そしてそれは、大和朝廷が自らの利益に基づいて編纂した『日本書紀』よりも、中国正史の夷蛮伝の方がその編纂目的から、可能な限り正確に夷蛮の国々の情報を記載しようとするばず、という論理的考察(論証)に基づいています。他方、従来説は『日本書紀』が描く日本列島の国家像の大枠(近畿天皇家一元史観)を論証抜きで是とすることにより成立しており、それに合わない中国史書の記述は信頼できないとして切り捨ててきました。
 こうした国内史料と海外史料の史料性格の違いなどから、日本古代史研究において海外史書を重視した学者が新井白石でした。白石が生まれた明暦三年(1657)、水戸藩では藩主徳川光圀の命により『大日本史』の編纂が開始されました。『大日本史』三九七巻は明治三九年(1906)に完成するのですが、白石はこの編纂事業に当初期待を寄せていました。しかし、その期待は裏切られ、友人の佐久間洞巌宛書簡の中で次のように厳しく批判しています(注)。

 「水戸でできた『大日本史』などは、定めて国史の誤りを正されることとたのもしく思っていたところ、むかしのことは『日本書紀』『続日本紀』などにまかせきりです。それではとうてい日本の実事はすまぬことと思われます。日本にこそ本は少ないかもしれないが、『後漢書』をはじめ中国の本には日本のことを書いたものがいかにもたくさんあります。また四百年来、日本の外藩だったとも言える朝鮮にも本がある。それを捨てておいて、国史、国史などと言っているのは、おおかた夢のなかで夢を説くようなことです。」(『新井白石全集』第五巻、518頁)

 日本古代史の真実を見極めるためには『日本書紀』『続日本紀』などの国内史料だけではなく、中国や朝鮮などの国外史料も参考にしなければならないという姿勢は、古田先生が中国史書の史料批判により九州王朝説を確立されたのと相通じる学問の方法です。江戸時代屈指の学者である白石ならではの慧眼です。比べて、日本古代史学界の現況は、白石がいうところの「おおかた夢のなかで夢を説くようなこと」をしている状態ではないでしょうか。(おわり)

(注)現代語訳は中央公論社刊『日本の名著第十五巻 新井白石』所収桑原武夫訳に拠った。

フォローする