第2182話 2020/07/11

九州王朝の国号(8)

 『隋書』には九州王朝の国号が「委」ではなく、帝紀には「倭」、夷蛮伝には「俀国」とあります。この「俀」の由来について、古田先生は『失われた九州王朝』(第三章 四、『隋書』俀国伝の示すもの)で次のように説明されています。

【以下、引用】
〈三国志〉
 邪馬壹国=山(やま)・倭(ゐ)国(倭国の中心たる「山」の都)
〈後漢書〉
 邪馬臺国=山(やま)・臺(たい)国(臺国〔大倭(たいゐ)国〕の中心たる「山」の都)
〈隋書〉
邪靡堆=山(やま)・堆(たい)(堆〔大倭〕の中心たる「山」の都)
 〈中略〉
 右のように、五世紀以来、「タイ国」という名称が用いられていたのが知られる。おそらく「大倭(タ・ヰ)国」の意味であろう。これを『後漢書』では「臺国」と表記し、今、『隋書』では「倭」に似た文字を用いて、「俀国」と表記したのである。このように一字で表記したのは、中国の一字国号にならったものであろう。なお、「倭」の字に中国側で「ゐ→わ」という音韻変化がおこり、「倭」を従来通り「ゐ」と読みにくくなった。このような、漢字自体の字音変化も、「俀」字使用の背景に存しよう。
【引用、終わり】

 このように古田先生は九州王朝の国号変化の背景に「倭」の音韻変化(ゐ→わ)を示唆されています。このことを紹介しておきたいと思います。(つづく)

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