第1425話 2017/06/17

7世紀前半の寺院が近畿に集中する理由

 本日の「古田史学の会」関西例会も先月に続いてi-siteナンバではなくドーンセンターで開催されました。これからも会場が変更されることがありますので、お間違えなきよう。

 今回も充実した発表が続き、そのため質疑応答が長引き、司会進行の西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)からご注意をいただいたほどです。特に感心したのが服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)が発表された、7世紀前半の寺院が近畿に集中する理由についての新仮説と「飛鳥時代」建立と推定された寺院遺跡出土軒丸瓦の一覧(A4 10頁、81寺)でした。個別の報告書や写真ではそれら寺院の出土軒丸瓦の多くは見たことがあるのですが、改めて一覧表にされて提示されると、7世紀前半とされる寺院が圧倒的に奈良県を中心に分布することが一目瞭然となるのです。

 服部さんによる分類では「素弁軒丸瓦」が出土する「飛鳥時代」の寺院と見なせるものは69寺あり、その分布は次の通りです。
福島2・東京1・千葉3・埼玉1・群馬1・長野1・岐阜1・福井1・愛知6・三重2・奈良26・京都2・大阪13・兵庫1・岡山1・広島2・香川2・愛媛2・大分1、計69寺。

 今後の調査により、この数字は変化すると思いますが、奈良や大阪に濃密分布するという傾向は変わらないのではないでしょうか。この考古学的事実こそ、わたしが提起した次の「九州王朝説に刺さった三本の矢」の一つなのです。

《一の矢》日本列島内で巨大古墳の最密集地は北部九州ではなく近畿である。
《二の矢》6世紀末から7世紀前半にかけての、日本列島内での寺院(現存、遺跡)の最密集地は北部九州ではなく近畿である。
《三の矢》7世紀中頃の日本列島内最大規模の宮殿と官衙群遺構は北部九州(太宰府)ではなく大阪市の前期難波宮であり、最古の朝堂院様式の宮殿でもある。

 今回の服部さんの発表は、この《二の矢》に果敢に挑戦されたものです。質疑応答では瓦の編年精度や妥当性、地域差をどのように見るかなど多岐にわたりました。これからの研究の進展が期待されます。

 6月例会の発表は次の通りでした。このところ例会参加者が増加していますので、発表者はレジュメを40部作成してくださるようお願いいたします。また、発表希望者も増えていますので、早めに西村秀己さんに発表申請を行ってください。

〔6月度関西例会の内容〕
①出土遺物の考察(犬山市・掛布広行)
②国家仏教の伝来(八尾市・服部静尚)
③今城塚古墳と岩手や真子分、阿蘇ピンク石(茨木市・満田正賢)
④双鉤填墨(奈良市・水野孝夫)
⑤倭国年号史料(古代逸年号)の基礎的検討(神戸市・谷本茂)
⑥「草津」の地名(京都市・岡下英男)
⑦フィロロギーと古田史学【その3】(吹田市・茂山憲史)
⑧「佐賀なる吉野」に行幸した天子とは誰か(下)(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
6/18会員総会議案等の説明・年間活動報告・6/18「古田史学の会」会員総会と井上信正氏(太宰府市教育委員会)講演会と懇親会(エルおおさか)・「誰も知らなかった古代史」(森ノ宮)の報告と案内(6/23「盗まれた万葉集」正木裕さん)・『古代に真実を求めて』21集企画案検討中・『古田史学会報』投稿要請・「古田史学の会」関西例会7月会場の件(ドーンセンター、京阪天満橋駅近く)・『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』出版記念講演会を大阪(9/09)、東京(10/15)で開催・その他

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