第1598話 2018/02/03

『論語』二倍年暦説の論理構造(5)

 ここまで説明しましたように、周代では二倍年暦が採用されていたと考えざるを得ないのですが、周王朝の歴代天子の在位年数にもその痕跡がうかがわれ、「たまたま超長生きで在位年の長い天子が何人もいた」とは考えにくい状況です。特に『穆天子伝』で有名な穆王は百歳を生きたと伝えられており、これは二倍年暦によると考えざるを得ません。たとえ一人でも二倍年暦と理解せざるを得ない王がいる以上、その王朝では二倍年暦が採用されていたとするのが、史料理解の基本ですが、これだけ在位年数の長い王がいる以上、この史料状況を「誤記誤伝があったのでは」や「学者によって異論が存在する」という解釈の類で否定するのは、学問の方法として不適切です。

○成王(前一一一五〜一〇七九)在位三七年
○昭王(前一〇五二〜一〇〇二)在位五一年
○穆王(前一〇〇一〜九四七)在位五五年
○厂萬*王(前八七八〜八二八)在位五一年
○宣王(前八二七〜七八二)在位四六年
○平王(前七七〇〜七二〇)在位五一年
○敬王(前五一九〜四七六)在位四四年
○顯王(前三六八〜三二一)在位四八年
○赧王(前三一四〜二五六)在位五九年
 ※『東方年表』平楽寺書店、藤島達朗・野上俊静編による。「厂萬*」は「厂」の中に「萬」。

 以上、わたしは古代中国において二倍年暦を採用した王朝(当研究では周代)が存在していたこと確信するに至りました。そして二倍年暦の研究は更に進展し、西洋の古典にも及び、次の論稿を発表しました。いずれも「古田史学の会」ホームページに収録されていますので、ご参照ください。(つづく)

「ソクラテスの二倍年暦」(『古田史学会報』54号。2003年2月)
 古代ギリシア哲学者の死亡年齢
 プラトン『国家』の二倍年暦
 アリストテレス『弁術論』の二倍年暦
 『オデュッセイア』の二倍年暦
 ヘロドトス『歴史』の一倍年暦
 ソクラテスの二倍年齢
「荘子の二倍年暦」(『古田史学会報』58号。2003年10月)
「『曾子』『荀子』の二倍年暦」(『古田史学会報』59号。2003年12月)
「アイヌの二倍年暦」(『古田史学会報』60号。2004年2月)

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