2011年03月一覧

第310話 2011/03/26

謎の九州年号「始哭」

前話で引用紹介した「鬼哭啾々」の「鬼哭」に似た「始哭」という九州年号があることをご存じでしょうか。それは、九州年号史料として有名な鶴峯戊申著『襲国偽僭考』に記されています。
同書の九州年号記事中の「吉貴」の項に「一説」として紹介されており、「始大」とも作るとあります。字義からして、年号に相応しいとも思われず、従来か ら誤記誤伝と見られてきたようで、九州年号研究に於いても正面から取り扱われることはほとんどありませんでした。管見では唯一、古田先生が別系列の九州年 号として言及されたのを知るのみです(「『両京制』の成立 ーー九州王朝の都域と年号論」、『古田史学会報』36号所収。2000年2月)。
最近、正木裕さん(古田史学の会会員)が、『二中歴』に見えない九州年号「法興」「聖徳」を多利思北孤や利歌弥多弗利の「法号」「法名」とする説を発表 されましたが、そうした視点から、この「始哭」も捉えられるのか、あるいは別の仮説が提起できるのか、更なる研究の深化が期待されます。
仮に、誤記誤伝と処理する場合にも、それではどのようなケースの場合、「始哭」のような誤記誤伝が発生しうるのかという説明が必要でしょう。どなたか挑戦されませんか。

第309話 2011/03/21

鬼哭啾々、涙ひまなし

この度の大震災による被災地の惨状をテレビで見るたびに、鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)、涙ひまなしの毎日です。そうした中、本日、仙台の 佐々木広堂さ んからの電話で、南相馬市の青田勝彦さん(古田史学の会全国世話人)が御無事で宮城県に避難されているという連絡が入りました。本当によかったです。古田 史学の会・仙台の会の皆さん全員の御無事をお祈りしています。
「鬼哭啾々」とは杜甫の詩「兵車行」が出典で、戦地での悲惨な状況に鬼も啾々と哭(な)くという、「春望」(国やぶれて山河あり)と共に有名な詩です。こ の詩のように鬼も泣く戦地のような惨状の中、皆さんが力を合わせて頑張っておられる姿に心打たれ、また涙しています。
「涙ひまなし」とは日蓮遺文「諸法実相抄」が出典です。日蓮は佐渡に流罪となり、弟子等は土牢に入れられるという迫害の最中(文永十年、1273)、日蓮が弟子日浄に与えた書状です。
「現在の大難を思い続くるにも涙、未来の成仏を思うて喜ぶにも涙せきあへず。鳥と虫とは鳴けども涙落ちず。日蓮は泣かねども涙ひまなし。」
大弾圧の中で弟子等を思い涙する日蓮の心情が吐露された名文です。こうした弟子等を励ます手紙を、日蓮は流刑地の佐渡から数多くしたためています。

 


第308話 2011/03/20

東日本大震災

 この度の大地震・大津波でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。テレビなどを通じて知らされるこの災害の悲惨さに、語るべき言葉もありません。また、古田史学の会の東北地方在住会員の皆さまの御無事をお祈りするばかりです。
 古田史学の会全国世話人で仙台市の佐々木広堂さんとはようやく連絡がとれ、御無事であることを確認できましたが、同じく南相馬市の青田勝彦さんとは未だ連絡がとれません。とても心配しています。
 同日開催しました古田史学の会役員会では、被災地域である岩手県・宮城県・福島県の三県在住会員の2011年度会費を免除することを決定いたしました。既に御支払い済みの場合は2012年度会費として取り扱うこととします。
 昨日の関西例会では亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、参加者全員で黙祷を捧げました。発表内容は次の通りでした。

〔古田史学の会・3月度関西例会の内容〕
○研究発表
(1) 国難 (豊中市・木村賢司)
(2) 白鳥さんと水主神社 (豊中市・木村賢司)
(3) 辟易 (豊中市・木村賢司)
(4) 古代史「道楽三昧」No,4の作成 (豊中市・木村賢司)
(5) 前期難波宮の九州王朝副都説についての疑問 (豊中市・大下隆司)
(6) 「邪馬壹国」は「女王国」ではない
ーー魏志倭人伝「不弥国」の新解釈 (姫路市 野田利郎)
(7) PC検索とDB活用 (木津川市・竹村順弘)
(8) 恵総と慧慈 (川西市・正木裕)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・白鳳朱雀年号の研究史・他(奈良市・水野孝夫)


第307話 2011/03/05

中国語の音韻

 昨日、中国から帰国しました。今回の出張は上海を拠点に、江蘇省張家港と宿遷、河北省石家荘、そして山東省斉南などを訪問。中国国内を車と飛行機で何時間もかけて移動するというハードな出張でした。
 中国に出張するようになって10年以上になりますが、その経済発展のスピードには目をみはるものがあります。行くたびに高速道路網は伸びていますし、何よりも食事がおいしくなり、女性は益々きれいになっています。冗談ではなく。
 同行していただいたのは有名な商社Mの王さんと金さん(女性)で、上海出身の王さんは北京語と上海語と日本語(やや関西弁)、朝鮮族出身の金さんは北京語と韓国語と日本語が堪能なエリート商社員です。そのため、商談では様々な言語が飛び交っていました。それにしても中国人の語学力にはいつも驚かされます。 地方都市のホテルマン(ただし高級ホテル)でも、英語と日本語の両方を話せる中国人は少なくありません。
 仕事の合間をぬって、王さんに北京語と上海語の違い、河北省語と北京語の差などについてしつこく質問し、いろいろと教えてもらいました。というのも、現在、『古田史学会報』上で内倉武久さん(本会会員。『太宰府は日本の首都だった』という好著の著者)と、倭人伝の地名などの音韻について論争中ですので、 現代中国語音韻の地域差についても知っておきたかったからです。
 そんなわけで、古代中国語音韻の先行研究を調べているのですが、大下さん(本会全国世話人・総務)から、松中祐二さん(本会会員)の「倭人伝の漢字音 −− 卑弥呼=姫王の証明」(『越境としての古代7』所収)が優れていると紹介していただきました。確かに、魏晋朝音韻研究の先行説など、わたしより深 く広く調査紹介されている好論文でした。松中さんともお会いして、御教示を賜りたいと願っています。
 それにしても、しばらくは中華料理は食べたくない、日本語以外の言葉も聞きたくないというほどの、ハードな出張ではありました。