室見川の銘版一覧

第2788話 2022/07/16

室見川の銘版は「墓誌」か

 本日はドーンセンターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月の関西例会もドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。

 今回の例会では、意表を突かれた発表がありました。正木さんの「倭国(九州王朝)略史」です。天孫降臨から大和朝廷との王朝交替までの九州王朝の略史をパワーポイント画像で説明するという画期的な試みでした。その冒頭部分で紹介された九州王朝金石文「室見川の銘版」について、従来の古田説では王宮造営を記したものとされてきたのですが、その文面の研究により、正木さんは墓誌ではないかとされたのです。わたしはこの墓誌説に驚きました。確かに、王宮よりも陵墓(吉武高木遺跡か)造営のことを記したとする解釈は有力です。
 その上で、わたしは次の提案を行いました。墓誌であれば被葬者名と没年月日の記載が最低限必要だが、同銘版には年次(延光四年、西暦125年)のみで被葬者名がない。従って、広い意味での墓誌としての性格を有すとは思われるが、むしろ寺社創建・再建時に付される「棟札」のようなものではないか。学術的により適切な名称が望ましい、という提案です。
 「棟札」が古代まで遡るものかは知らないのですが、より近い表現としては、現代の建築物に付設される「定礎」のようなものかもしれません。いずれにしても、正木さんの墓誌説は古田説を進化・発展させる優れた仮説です。

 7月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔7月度関西例会の内容〕
①乙巳の変は九州王朝による蘇我本宗家からの権力奪還の戦いだった(茨木市・満田正賢)
②神代七代神名の解析(一)「常立神と豊雲野神」(大阪市・西井健一郎)
③『古事記』における「王」(たつの市・日野智貴)
④裴世清は九州内部を陸行した(京都市・岡下英男)
⑤倭国(九州王朝)略史(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 08/20(土) 会場:ドーンセンター


第2554話 2021/09/03

弥生時代の「十進法」の痕跡

 昨日、久冨直子さん(『古代に真実を求めて』編集部)よりメールが届き、新聞報道によると、須玖岡本遺跡から出土した弥生時代の権(分銅)に関する展示が「奴国の丘歴史資料館」のサイト(注①)で見られるとのこと。本来は同館の企画展だったのが、コロナ禍で中止となったのでネット上での公開となったそうです。
 新聞報道(注②)によれば、「弥生時代の10倍権が確認されたのは国内初」で、「弥生時代から国内でも10進法が使われていたことを証明する重要な発見」とあります。物的証拠(出土事実)を重視する考古学的にはその通りなのかもしれませんが、文献史学では弥生時代の「十進法」使用は当然のことと思われます。
 たとえば『三国志』倭人伝には倭国(壹與。三世紀)からの献上品として、「男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。」(注③)と記載されており、「三十人」「二十匹」は倭国での十進法使用を前提とした数と考えざるを得ません。
 古田先生が紹介された室見川の銘板(注④)にも「高暘左 王作永宮齊鬲 延光四年五」とあり、「延光四年五」とは後漢の年号「延光四年(125年)」の「五月」のことですから、十進法による中国の年号や暦法を二世紀の倭人は知っていて、この銘板に刻字したわけです。
 以上のような史料根拠により、文献史学では弥生時代の倭国では「十進法」が使用されていたと考えざるを得ないのです。

(注)
①「発見!!弥生時代の権」オンライン展示室
https://www.city.kasuga.fukuoka.jp/miryoku/history/historymuseum/1002191/1009102.html
②毎日新聞web版 2021/9/2。本稿末に転載、
③「壹與、遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人、送政等還、因詣臺。獻上男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。」『三国志』倭人伝
④古田武彦『ここに古代王朝ありき 邪馬一国の考古学』朝日新聞社、昭和五四年(1979)。ミネルヴァ書房より復刻。

【毎日新聞web版 2021/9/2】
弥生時代に10進法利用か 基準10倍の分銅発見 国内初

 福岡県春日市の須玖(すぐ)遺跡群・須玖岡本遺跡の出土物から、弥生時代中期(紀元前2世紀~同1世紀)とみられる石製の分銅「権(けん)」(最大長5センチ、最大幅4.15センチ)が新たに確認された。1日、市教育委員会が発表した。朝鮮半島南部で発見された権と共通の規格で作られたとみられ、基準となる権(約11グラム)の約10倍の重さだった。同規格の弥生時代の10倍権が確認されたのは国内初。市教委は「弥生時代から国内でも10進法が使われていたことを証明する重要な発見」と話している。
 遺跡群からは2020年、国内最古級となる弥生時代中期前半~後期初め(紀元前2世紀~紀元1世紀)の権8点が確認された。これらは韓国・茶戸里(タホリ)遺跡の基準質量の▽3倍▽6倍▽20倍▽30倍にあたり、権に詳しい福岡大の武末純一名誉教授(考古学)は10進法が使用されていた可能性を指摘していた。今回の発見で、その可能性がより高まった。


第784話 2014/09/13

倭国(九州王朝) 遺産10選

 書店で世界遺産を特集した本をよく見かけるようになりました。それにヒントを 得て、いつか「古田史学の会」でも『倭国(九州王朝)遺産』のような写真で紹介する九州王朝の遺跡や文物を紹介した本を出してみたいと思うようになりまし た。そこで、もし選ぶとしたら「倭国(九州王朝)遺産」として何がふさわしいだろうかと考えてみました。個人的見解ですが、ご紹介したいと思います。まず は金石文・出土品10選です。(順不同)

〔第1〕志賀島の金印
 やはり最初に認定したいのはこれです。倭国が中国の王朝に認定された記念碑的文物ですから。『後漢書』によれば光武帝が西暦57年に倭王に贈ったもので す。「倭国が南海(南米か)を極めた」ことに対する報償です。印文の「漢委奴国王」は、「かんのいのこくおう」あるいは「かんのいぬこくおう」と訓んでく ださい。「かんのわのなのこくおう」と「三段細切れ国名」として訓むのは誤りです。

〔第2〕室見川の銘板
 倭国産の銘板で、これも外せません。後漢の年号「延光4年」(125)が記されています。吉武高木遺跡の宮殿造営(王作永宮齊鬲)を記したものとして、これも九州王朝の記念碑的文物です。

〔第3〕日田市出土「金銀象嵌鉄鏡」
 国内では唯一の出土と思われる見事な象嵌で飾られた鉄鏡です。九州王朝内の有力者の所持品と思われます。金銀象嵌(竜)の他に赤や緑の玉もはめ込まれた見事な鏡です。中国製(漢代)のようです。

〔第4〕平原出土の大型「内行花文鏡」(複数)
 この圧倒的な量と大きさも「遺産」認定に値します。

〔第5〕七支刀
 今は石上神宮にありますが、百済王が倭王旨に贈った古代を代表する異形の名刀(剣)です。「旨」は倭王の中国風一字名称です。

〔第6〕福岡市元岡古墳出土「四寅剣」
 倭国産の、これも珍しい「四寅剣」を忘れてはなりません。九州王朝内の有力氏族に与えたものと思われます。九州年号「金光」改元の年(570)に造られたものです。

〔第7〕糸島市一貴山銚子塚古墳出土「黄金鏡」
 国内でも数例しかないという鍍金された鏡です。邪馬壹国の卑弥呼が中国からもらった「金八両」が使用されたのではないかと、古田先生は推測されていま す。なお、同じ鍍金鏡として熊本県球磨郡あさぎり町才園(さいぞん)古墳出土の鏡もセットで認定したいと思います。

〔第8〕江田船山古墳出土「銀象嵌鉄刀」
 これを認定しないと本年五月にお世話になった和水町の皆様にしかられます。九州王朝の有力豪族に与えられた有名な刀です。馬だけでなく魚や鵜飼いの鵜と思われる水鳥の象嵌も貴重です。

〔第9〕隅田八幡人物画像鏡(和歌山県橋本市)
 百済の斯麻王(武寧王)から倭王「日十(ひと)大王年」に贈られた鏡です。この「年」は倭王の中国風一字名称です。岡下秀男さん(古田史学の会・会員、 京都市)の研究によれば、倭王への贈呈品とするには文様の質があまり良くないという課題もあります。

〔第10〕宮地嶽古墳出土の金銅製馬具・他
 この圧倒的に豪華な副葬品は文句なしの認定ですが、北部九州からはこの他にも王塚古墳(桂川町)などからも素晴らしい副葬品が出土しており、それらもセットで認定したいと思います。

 以上、とりあえず「10選」ということで絞りましたが、この他にも認定したいものが数多くあります。また、卑弥呼がもらった金印も発見されれば間違いなく認定です。今回漏れたものは続編か番外編にでも紹介できればと思います。(つづく)