2024年04月12日一覧

第3268話 2024/04/12

『続教訓抄』の九州年号「教到六年」

 今日、ご近所の枡形商店街にある古書店に行くと、新品同様の『古事類苑 樂舞部一』がなんと三百円(税込み)で売っていましたので、迷わず買いました。能楽など古典芸能史料に九州王朝の痕跡が遺っていることがあり、きっと『古事類苑』に貴重な史料が収録されているはずと思い、超高速で斜め読みしたところ、案に違わずありました。

 同書に収録されている「続教訓抄 十一上 吹物」(注①)に東遊(あづまあそび)の次の記事がありました。

 「或記ニ云、人王廿八代安閑天皇ノ御宇、教到六年丙辰歳、駿河國宇戸濱ニ、天人アマクダリテ、哥舞シタマヒケレバ、周瑜ガ腰タヲヤカニシテ、海岸ノ春ノヤナギニオナジク、回雪ノタモトカロクアガリテ、江浦ノユウベノカゼニヒルガヘリケルヲ、或翁イサゴヲホリテ、中ニカクレヰテ、ミツタヘタリト申セリ、今ノ東遊トテ、公家ニモ諸社ノ行幸ニハ、カナラズコレヲ用ヰラル、神明コトニ御納受アルユエナリ、其翁ハスナワチ道守氏トテ、今ノ世ニテモ侍ルトカヤ、」244頁

 ここに見える「教到六年丙辰歳」は九州年号で、536年に当たります。ちなみに『二中歴』などの九州年号史料では、教到六年は改元されて僧聴元年とあることから、同年中の改元される前に成立した史料によるものと思われ、そうであれば原史料は同時代史料となり貴重です。

 この東遊の始原伝承については、本居宣長の『玉勝間』で紹介されている『體源鈔』(注②)からの引用記事にもほぼ同文があることを拙論(注③)で紹介しました。次の記事です。

 「東遊の起り
同書(『體源抄』)に丙辰記ニ云ク、人王廿八代安閑天皇ノ御宇、教到六年(丙辰歳)駿河ノ國宇戸ノ濱に、天人あまくだりて、哥舞し給ひければ、周瑜が腰たをやかにして、海岸の青柳に同じく、廻雪のたもとかろくあがりて、江浦の夕ヘの風にひるがへりけるを、或ル翁いさごをほりて、中にかくれゐて、見傳へたりと申せり、今の東遊(アズマアソビ)とて、公家にも諸社の行幸には、かならずこれを用ひらる、神明ことに御納受ある故也、其翁は、すなわち道守氏とて、今の世までも侍るとやいへり、」(岩波文庫『玉勝間』下、十一の巻。村岡典嗣校訂)

 『続教訓抄』と『體源抄』の当該記事はほとんど同文ですが、『続教訓抄』の成立が十三世紀であり、『體源抄』よりも二百年も早く、貴重です。
ちなみに、東遊(あずまあそび)は東国地方の民俗舞踊で、平安時代から、宮廷や神社の神事舞の一つとして演じられたとされていますが、始原伝承に九州年号「教到」が使用されていることから、本来は九州王朝の宮廷舞楽ではなかったかと推測しています。歌方(うたいかた)は笏拍子(しゃくびょうし)を持ち、笛・篳篥(ひちりき)・和琴(わごん)の伴奏で歌い、四人または六人の舞人が近衛武官の正装などをして舞うとのことで、これらも九州王朝の宮廷舞楽の痕跡ではないでしょうか。現在は宮中や神社の祭礼で行われているようです。

(注)
①『続教訓鈔』は鎌倉時代の雅楽書で狛朝葛(こまともかず)著。彼の祖父狛近真が著わした『教訓鈔』に続く楽書。文永七年(1270)頃から書きはじめ,元享二年(1322)頃まで追記したものと考えられている。完本は現存せず、巻数は二十一巻以上と見られている。
②『體源抄』は豊原統秋の著作で、十三巻二二冊からなる音楽書。永正十二年(1515)成立。
③古賀達也「洛中洛外日記」938話(2015/04/29)〝教到六年丙辰(536年)の「東遊」記事〟
「本居宣長『玉勝間』の九州年号 ―「年代歴」細注の比較史料―」『古田史学会報』64号、2004年。