2005年12月一覧

第54話2005/12/25

『風早』

 愛媛県松山市の合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人)から、『風早』51号(平成17年12月発行)という雑誌が送られてきました。この雑誌は松山市北条(旧北条市)の風早歴史文化研究会から発行されているもので、地元の歴史や文化などの研究論文が掲載されている伝統のあるものです。
 送られた51号には合田さんの講演録「風早国・越智国考察の新展開」が収録されています。合田さんは古田説に基づいた『聖徳太子の虚像』という著書を近年著されるなど、目覚ましい活躍を見せておられる方です。古田史学の会・四国を立ち上げられた中心人物のお一人であり、毎月の例会活動でも講師として頑張っておられます。他方、お仕事の他にも社交ダンスの腕前もたいしたもので、各地の競技会にも出ておられます。このような、パワーのある方に古田学派の陣営に入っていただき、心強く思っています。
 収録された講演の内容も、地元史を多元史観の立場から考察されたもので、興味深い知見が随所に盛り込まれていました。たとえば、地元の神社が「朝倉天皇」と呼ばれていたり、地名に「天皇」(旧・丹原町)「天皇橋」(旧・朝倉村)があったり、神社縁起などに「長沢天皇」「中河天皇」などが記されているなど、本当に面白い地域だと思いました。こうしたことを多元史観で研究することにより、あらたな真実の伊予の古代史が見えてくるかもしれません。合田さんや古田史学の会・四国のこれからの更なる活躍が期待されます。


第53話 2005/12/18

12月度関西例会の報告

 昨日、本年最後の関西例会がありました。冨川さんの報告は着眼点に優れたもので、『先代旧事本紀』や記紀の天の岩戸隠れの段に見える「天香山」から銅や鉄を採って鏡を作るという記事をテーマとしたもの。奈良の香具山から銅や鉄はとれないことから、これらの「天香山」は天国領域の別の山ではないかとする問題提起で、なかなか興味深いものでした。西日本各地の鉱山の一覧表や鉱石のカラーコピーなど、レジュメも優れたもので見習いたいと思いました。

 私の報告は天武紀などの記事から、壬申の大乱以降、天武が国内基盤を固める過程を考察したものです。九州王朝と近畿天皇家の王朝交代期の実態を明らかにする上で、『日本書紀』の一層の史料批判が必要と思われました。
 横田さんからは、新年講演会のテーマ「浦島太郎伝説」にあわせて、横浜にある浦島太郎伝説の紹介やインターネットホームページのブログの解説がなされました。また、当日配布した「古田史学の会・東海」のニュースにも、愛知県の浦島太郎伝説が紹介されており、タイムリーでした。
 例会後の懇親会(忘年会)では、12月3日の遺跡巡りで足を骨折し入院されている西井さんの代打として、竹村さんが幹事役をされましたが、注文の値段計算など苦労されていました。西井さんの復帰が待たれます。例会の内容は下記の通りです。

〔古田史学の会・12月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞「日本の古代・出雲、吉備の地域学」
○研究発表
『ダヴィンチ・コード』を読んで(豊中市・木村賢司)
「天香山」から銅が採れるか(相模原市・冨川ケイ子)
石見国物部神社と新具蘇姫神社(京都市・古賀達也)
王朝交代の史料批判─『日本書紀』耽羅国記事の研究─(京都市・古賀達也)
カヅマヤマ古墳・下川原遺跡現地説明会の報告(木津町・竹村順弘)
横浜の浦島太郎(東大阪市・横田幸男)
○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・木簡データベースの調査・他(奈良市・水野孝夫)





第52話 2005/12/10

石走る淡海

 『万葉集』などの歌枕には意味不明のものが少なくありません。「石走る淡海」もその一つです。淡海などの歌枕とされる「いわはしる」と言われても、琵琶湖を岩が走るのを見たことも聞いたこともありません。ところが、最近ちょっと面白いアイデアがひらめきましたので、ご披露したいと思います。
 淡海は本来は琵琶湖ではないという問題については、既にこのコーナーでも紹介しましたが(第17話)、現在の所、熊本県の球磨川河口とする西村・水野説が有力です。この説に従えば、もう一つ注目すべきことがあります。それは球磨川河口の北部に位置する宇土半島から阿蘇ピンク石が産出するという事実です。このことも、以前に触れたことがありますね(第25話)。本年この阿蘇ピンク石の巨岩を復原された古代船で近畿まで運ぶプロジェクトがありましたが、これこそ「淡海」を「石走る」にピッタリではないでしょうか。
 古代において、遠く近畿まで阿蘇ピンク石を船で運ぶ姿を見た歌人達が「石走る淡海」と詠んだ、そのように思うのです。それは、勇壮かつかなり異様な印象深い光景に違いありません。もしかすると柿本人麿も、球磨川河口の海を阿蘇ピンク石を積んだ船が滑るように走る情景を見たのかも知れません(『万葉集』29番歌に「石走る淡海」が見える)。
 いかがでしょうか、このアイデア。かなりいけそうな気がするのですか。もし当たっていれば、「石走る」という枕詞も九州産ということになり、最初に九州王朝下で作歌されたことになります。


第51話 2005/12/04

『ダヴィンチ・コード』

 『ダヴィンチ・コード』。既に読まれた方も多いかと思いますが、近年世界的ベストセラーになった推理サスペンス小説です。わたしの勤務先には「社長室図書」というコーナーがあり、社長が読んだ本で社員にお奨めのものが自由貸出になっているのですが、そこに『ダヴィンチ・コード』があったので、最近読んでみました。うわさに違わず面白い。一気に読み終えたのです。通底するテーマとして古代キリスト教史が流れている本で、古田先生が研究されている「トマスの福音書」なんかも、ちらっと登場します。そして、読んでいるうちにキリスト教史の勉強にもなるという本でした。
 マグダラのマリアも扱われているので、さっそく木村賢司さんや西村秀己さんらにも紹介したのですが、西村さんからはメールで感想が寄せられ、面白いが真犯人がすぐにわかって、推理小説としてはいまいちという辛口のコメント。木村さんは水野代表にもこの本のことを教えられたようで、水野さんから電話で、古田先生にはもう紹介したのかとの質問。まだですというと、水野さんから紹介することになりました。その後、水野さんからメールが届き、古田先生は既に読んで持っているとのこと。先生の読書量とその幅の広さにはおどろきました。
 人間の好奇心は棺桶に入るまで留まるところを知らない、とは古田先生の言葉。先生ご自身にぴったりの言葉だなあと、あらためて思った今日でした。そして、今日から京都は本格的な寒さを迎えました。インフルエンザの予防接種も昨日済ませましたので、年末まで古代史の研究と仕事に頑張るぞ、と寒さに震えています

バチカン・ピエタ像の謎 木村賢司(古田史学会報61号)

マリアの史料批判 西村秀己(古田史学会報62号)


第50話 2005/12/01

「そ」の神・新具蘇姫命(にいぐそひめのみこと)

 「そ」の神様を捜していたら、また冨川ケイ子さん(本会会員、相模原市)からメイルで『延喜式』の式内社に新具蘇姫命(にいぐそひめのみこと)神社があることをお知らせいただきました。所在地は石見の国、島根県大田市川合町ですが、同町には石見国一ノ宮の物部神社もあり、古代より当地の中心地だったことがうかがわれます。
 現代の感覚でいえば、お姫様の名前に「にいぐそ」はないと思いますが、逆にそれだけ古い神名である証拠ではないでしょうか。おそらく、「にいぐそ」とは新しい糞という意味ではなく、新しい「ぐ」の「そ」の神様のように思われます。「ぐ」の意味はわかりませんが、「かぐつち」や「香具山」と共通する「ぐ」という何らかの概念があったのでしょう。
 新具蘇姫命はこの神社にしか祀られていないとのことで、たぶん在地の主神だったと思います。もしかすると石見国を代表する古い神様だった可能性も否定できないと思います。しかも女性の神様ですから、縄文時代にまで遡れるかもしれませんね。そうでなければ、一ノ宮の物部神社の近くで、こんな名前の「そ」の神様が祀られ続けてきた理由がわかりません。わたしのカンでは物部神社よりも古い神様だと思います。さらにいえば、物部神社とも何らかの関係があったのではないかと想像していますが、この点については12月の関西例会で発表することにします。
 「そ」の神様、探せばもっと見つかりそうです