第2222話 2020/09/02

文武天皇「即位の宣命」の考察(6)

 文武天皇「即位の宣命」は四つの記事から構成されており、第一節は当宣命の「前文」ともいうべき次の記事です。

 「現御神と大八島国知(しろ)しめす天皇が大命らまと詔(の)りたまふ大命を、集侍(うごな)はれる皇子等・王等・百官人等、天下の公民、諸(もろもろ)聞(きこ)し食(め)さへと詔(の)る。」

 この「前文」の後に第二節が続きます。

 「高天原に事始めて、遠天皇祖の御世、中今に至るまでに、天皇が御子のあれ坐(ま)さむ彌(いや)継々(つぎつぎ)に、大八島国知らさむ次と、天つ神の御子ながらも、天に坐す神の依(よさ)し奉りしままに、この天津日嗣高御座(あまつひつぎたかみくら)の業(わざ)と、現御神と大八島国知らしめす倭根子天皇命の、授け賜ひ負(おは)せ賜ふ貴き高き広き厚き大命を受け賜り恐(かしこ)み坐して、この食国(をすくに)天下を調(ととの)へ賜ひ平(たひら)げ賜ひ、天下の公民を恵(うつくし)び賜ひ撫で賜はむとなも、神ながら思しめさくと詔りたまふ天皇が大命を、諸聞し食さへと詔る。」

 この第二節は当宣命の最も重要な部分で、天皇の権威の歴史的淵源、即位の根拠と正統性について述べたものです。701年の王朝交替の直前(697年)に即位した文武にとって、王朝交替と即位の正統性こそ、国内の諸豪族へ説明しなければならない最重要事項だったはずです。このように、九州王朝説に立って文武天皇「即位の宣命」を精査するとき、通説とは異なる歴史風景が見えてきます。(つづく)

フォローする