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第254話 2010/04/25

 

二つの四天王寺

 現在の四天王寺は、元々は九州王朝が倭京二年(619年)に創建した天王寺だったとする私の仮説には、実は越えなければならないハードルがありました。 それは、『日本書紀』に建立が記された四天王寺は何処にあったのか、あるいは建立記事そのものが虚構だったのかという検証が必要だったのです。
 崇峻紀や推古紀に記された四天王寺建立記事が全くの虚構とは考えにくいので、わたしは本来の四天王寺が別にあったのではないかと考え、調べてみました。すると、あったのです。
 難波宮跡の東方にある森之宮神社の社伝には、もともと四天王寺は今の大阪城公園辺りに造られたとあるのです。あるいは、平安期の成立とされる『聖徳太子 伝暦』に、玉造の岸に始めて四天王寺を造ったとの記録もありました。遺跡などの詳細は不明ですが、今の大阪城付近に初めて四天王寺が造られたとの伝承や史料があったのです。
 これらの事実は、現在の四天王寺は九州王朝の天王寺であって、『日本書紀』の記す四天王寺ではないとする、私の仮説にとって偶然とは言い難い大変有利な証拠でもあるのです。このことを4月17日の関西例会で報告したのですが、この「二つの四天王寺」問題と「九州王朝の難波天王寺」仮説は、『日本書紀』の 新たな史料批判の可能性をうかがわせます。このことも、追々、述べていきたいと思います。
 なお、4月の関西例会での発表は次の通りでした。

〔古田史学の会・4月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 禅譲・放伐、他(豊中市・木村賢司)

2). 古田史学の会に参加して(東大阪市・萩野秀公)

3). 豊雲野神(大阪市・西井健一郎)
 1)豊日の国の祖神・豊雲野神 2)豊の位置の探索

4). 九州王朝と菩薩天子(川西市・正木裕)
 多利思北孤等九州王朝の天子が「菩薩天子」を自負していたと考えれば、以下の仮説が提起できる。
  1. 筑紫君薩夜麻の「薩」は菩薩思想を表す彼の中国風一字名である。なお「讃・珍・済・興・武」や七支刀に刻す「倭王旨」の「旨」、人物画像鏡の「日十大王年」の「年」等(磐井の磐・壹與の與もそうか)から、九州王朝の天子は中国風一字名を併せ持っていたと考えられる。
  2. 薩夜麻の為に大伴部博麻が「身を売った」とされる行為は、菩薩天子に対する仏教上の「捨身供養」である。博麻への恩賞はこれに伴うもので、持統四年九州王朝はその授与権をしっかりと有していた。(これは天武末期から持統初期の叙位・褒賞等記事の主体問題に繋がる)
  3. 『隋書』に記す、開皇二十年(六〇〇)の多利思北孤の親書に対し、隋の高祖が「大いに義理なし」と非難したのは、地上の権威と宗教(仏教)上の権威を併せ持つ統治形態・施政方式に対するものである。

5). 二つの四天王寺(京都市・古賀達也)

○水野代表報告
  古田氏近況・会務報告・『倭姫命世記』の「櫛田宮」「宇礼志」・他(奈良市・水野孝夫)