「 2012年04月 」一覧

第408話 2012/04/29

『人麿の運命』復刻

古田先生の初期三部作(『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』)は古田ファン必読の三冊ですが、今回は古田先生の万葉集論三部作をご紹介します。
それは『人麿の運命』『古代史の十字路-万葉批判』『壬申大乱』の三冊ですが、このたびミネルヴァ書房より『人麿の運命』が「古田武彦古代史コレクション」として復刻されました。
古田先生の万葉論は文献史学の方法論として、「歌」を歴史史料として取り扱う上で貴重な提言が含まれています。ともすれば、様々な「解釈」が可能な万葉集の歌に基づいて、恣意的な研究が見られる分野ですが、歴史学としての古田先生の万葉論のエッセンスを学ぶことができる重要な一冊が『人麿の運命』です。
その方法論上のキーポイントをちょっと説明します。まず第一は、一次史料としての「歌」そのものと、編纂時に付け加えられた「題」や「左注」を切り離し、一次史料の「歌」そのものを史料批判するという点です。この方法論は歴史学としての万葉集研究を確立した素晴らしいものてす。
第二は、古田学派であれば当然のこととしてご理解いただけると思いますが、万葉集の原文により近い写本を基礎史料として使用するという点です。具体的には「元暦稿本」(有栖川王府本)と呼ばれる万葉集写本を重視されたことです。
第三は、多元史観・九州王朝説の視点から史料批判するという点です。
これらの方法論は古田史学の基本的なことですから、こうしたことを学ぶためにも『人麿の運命』の復刻は喜ばしいことです。青山富士夫さん撮影によるカラー写真もふんだんに掲載されており、古田万葉論の理解を助け、真実の万葉の世界を深くイメージすることができます。
巻末にある書き下ろしの「君が代」論、「男系天皇」論、「万世一系」論などもタイムリーなテーマで、おすすめの一冊です。


第407話 2012/04/22

鹿島神は地震の神様

最近、地震研究者の都司嘉宣さん(つじよしのぶ・元東京大学地震研究所)の研究を知る機会がありました。都司さんは高名な地震学者ですが、地震の歴史を調査研究するという、歴史地震学という分野でも活躍されています。
中でもわたしが感心したのは、フィールドワークを大切にされているという研究姿勢です。「歴史は脚にて知るべきものなり。」(秋田孝季)に通じるもので す。具体的な研究テーマとしては、地震の神様の研究に注目しました。鹿島神社が地震の神様として信仰されているという指摘と、その神様の全国分布調査に は、古田史学と相通じるものを感じたのです。
その都司さんの論文『歴史地震』第八号掲載の「地震神としての鹿島信仰」(1992年)を是非読みたいと願っています。どこの図書館にあるか調査中です。
広瀬・竜田の神が風や水の神様であり、日本書紀の天武紀などによく現れるのは有名ですが、地震の神様の存在など、祭神研究以外にその神様の効能研究という分野も面白いものだと思いました。どなたか、研究されてみてはいかがでしょうか。
なお、都司さんは古田先生が立ち上げた「国際人間観察学会」に もご協力いただいており、同会会報「Phonix」No.1(2007)にも寄稿されています(Similarity of the distributions of strong seismic intensity zones of the 1854 Ansei Nankai and the 1707 Hoei Earthquakes on the Osaka plain and the ancient Kawachi Lagoon)。本会ホームページからも閲覧できますので、英語に堪能な方は是非ご覧ください。


第406話 2012/04/21

古田先生緊急入院と退院

 4月14日、古田先生が体調不良で緊急入院され大変心配していましたが、19日には無事退院されました。先生も今年8月8日で86歳になられますから、無理をなさらずお身体を大切にしていただきたいと願っています。とはいえ、今も精力的に執筆や研究をされておられますので、やはり心配です。
 本日、関西例会が開催され盛況でした。池上さんは初めての発表でした。池上さんに続いて例会デビューされる人が出ることを期待しています。
 正木さんの発表では、「磐井の乱」も「継体の反乱」もなかったとする最新の古田説に対して、参加者から様々な意見が飛び交いましたが、結論には至りませんでした。同じく正木さんの、謡曲「老松」を九州王朝の舞楽から発生したものとする説は興味深いものでした。会報での発表が待たれます。
 今回はスイス在住の方の例会初参加もありました。
 発表内容は次の通りでした。

〔4月度関西例会の内容〕
1). 道楽三昧・余録「楽しい徒労」(豊中市・木村賢司)
2). 故・林会長の「東海の古代」を冊子化・他(豊中市・木村賢司)
3). 百済と倭の位置(木津川市・竹村順弘)
4). 『日本書紀私記・丁本』に見る「日本」(相模原市・冨川ケイ子)
5). 神功皇后紀中の魏、晋へ貢献した倭国又は倭についての考察(高槻市・池上正道)
6). 『書紀』磐井の乱の盗用手法と『古事記』『筑後国風土記』(川西市・正木裕)
7). 九州王朝と松(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・古田史学キーワード辞典・会務報告・テレビ帝塚山大学市民講座・曹操の別荘の所在地と短里(青木英利説の紹介)・その他
○関西例会会計報告(豊中市・大下隆司)


第405話 2012/04/18

太宰府編年の再構築

今日は仕事で長野県岡谷市に行ってきました。天候にも恵まれ、JR中央本線「特急しなの」の車窓から見える山々の冠雪や満開の桜がとてもきれいでした。
このところ「古田史学会報」用論文の執筆に打ち込んでいます。題は「観世音寺・大宰府政庁Ⅱ期の創建年代」というもので、太宰府編年の整理と再構築が テーマです。九州王朝の王都太宰府については、古田学派内でも様々な編年観があるようですが、七世紀の九州王朝研究の深化のためにも、一度きちんと論文に まとめ直す必要を感じていました。
というのも、わたし自身も当初の編年観が誤っていることに気づき、修正を重ねているからです。その修正ができたのは、二人の井上さんのおかげなのです が、一人は井上信正さん(太宰府市教育委員会)、もうお一人は井上馨さん(古田史学の会会員、山梨県在住)です。
考古学者で太宰府遺構の調査研究にたずさわられている井上信正さんは、大宰府政庁Ⅱ期・観世音寺・朱雀大路よりも条坊区画の方が先に造営されており、その時期を七世紀末とする新編年を発表されました。
当初わたしは九州王朝の王宮である大宰府政庁Ⅱ期と条坊都市は共に九州年号「倭京」年間(618~622)に造営されたものと理解していました。ところ が、両者の中心軸はずれており、造営にあたり使用された基準尺も異なっていることを井上信正さんは発見されたのです。この指摘は衝撃的でした。この井上説 に立てば、我が国最初の条坊都市とされてきた藤原京よりも太宰府条坊都市の方が先に造営されたことになりかねないからです。少なくとも同時期となってしま うのです。このため、九州王朝説の立場に立っても太宰府編年の見直しがせまられたのです。
次に井上馨さんですが、昨年送っていただいた『勝山記』のコピーを読み、観世音寺の創建年が白鳳10年(「白鳳十年鎮西観音寺造」とあります)と記録さ れいることに気づいたのです。観世音寺創建年については、『二中歴』では「白鳳年間(661~683)」とされているのですが、それ以上の具体的年次が不 明でした。ところが『勝山記』のおかげで、白鳳10年(670)であったことがわかったのです。
観世音寺創建年が670年のこととわかったおかけで、大宰府政庁Ⅱ期も同時期の造営となることから、太宰府編年研究が一気に進んだのです。こうした、二 人の井上さんの「ご協力」に基づいて、太宰府編年研究を再構築すべく原稿を執筆しています。「古田史学会報」次号でご紹介できると思います。


第404話 2012/04/11

『古事記』千三百年の孤独(5)

大和朝廷にとって『古事記』編纂の最大の目的は先住した九州王朝をなかったこ とにして、神代の時代から天皇家が日本列島の中心権力者であったとすることです。しかし、『古事記』編纂時の712年といえば九州王朝に替わって最高権力 者となってから、まだ十数年しかたっていません。ですから、列島内の多くの人々には大和朝廷が新参の権力者であることは自明のことだったのです。そのた め、自らの権力基盤を安定化するための「大義名分」(アリバイ)作りが史書編纂という形で進められました。『古事記』にはその痕跡が残されています。
『古事記』には推古天皇まで記されていますが、各天皇の事績・伝承記事があるのは顕宗天皇までで、その後は推古まで系譜や姻戚記録等だけとなります(こ れにも理由があるのですが、今回はふれません)。ところが、例外のように継体記の末尾にちょっとだけ伝承記事が掲載されているのです。いわゆる「磐井の 乱」の記事です。
「この御代に、竺紫君石井、天皇の命に従わずして、多く礼無かりき。故、物部荒甲の大連、大伴の金村の連二人を遣わして、石井を殺したまひき。」
この短い記事を挿入しているのですが、この「例外」のような短文記事挿入こそ、『古事記』編纂の眼目の一つなのです。すなわち、九州王朝の王であった石 井(日本書紀では磐井)より近畿の継体天皇が格上であり、この「磐井の乱」鎮圧の結果、名実ともに九州は大和朝廷の支配下にはいったという、「大義名分」 (アリバイ)作りの文章だったのです。
これが、継体記に例外とも言える「伝承記事」を挿入した動機で、『古事記』編纂者の苦辛の跡なのです。しかし、その苦辛は報われませんでした。
「天皇の命に従わずして、多く礼無かりき」程度の理由や記事では、九州王朝の王・石井を殺して倭国のトップになったのは「歴史事実」だと、列島内の人々 に信じさせることはできないと継体の子孫たち、8世紀初頭の大和朝廷には見えたのです。その結果、『古事記』は「ボツ」にされ、「継体の乱」を事細かに記 した『日本書紀』が正史として新たに編纂されたのです。
このように、『古事記』には隠された編纂意図があちこちに残されてるのですが、それらを説明するには「洛中洛外日記」では荷が重すぎます。また別の機会に紹介したいと思います。


第403話 2012/04/08

『古田史学会報』109号の紹介

 『古田史学会報』109号が完成しました。近々、会員のお手元に届くことと思います。四月より新年度となりました。会費のお支払いをお願い申しあげます。一般会員三千円、賛助会員五千円(会誌「古代に真実を求めて」も進呈)です。
 109号一面には大下隆司さんの『七世紀須恵器の実年代 — 「前期難波宮の考古学」について』が掲載されています。この大下稿は前期難波宮の創建を天武期とするもので、わたしの「前期難波宮九州王朝副都説」を考古学的に批判する内容で、根拠と論旨が明確なすぐれた論稿です。
 久しぶりの本格的な論戦に、わたしもわくわくしています。もちろん学問論争ですから、「勝ち負け」ではなく、共に切磋琢磨して「真実に近づくこと」が大切です。考古学をしっかりと勉強して、反論したいと思います。
 109号掲載稿は次の通りです。

〔『古田史学会報』109号の内容〕
○七世紀須恵器の実年代 –「前期難波宮の考古学」について  豊中市 大下隆司
○九州年号の史料批判  京都市 古賀達也
正誤表 P5-2段-2行 大化は五十5年→大化は五十年遡らせて (失礼しました。古賀氏より)

○「国県制」と「六十六国分国」 下 –「常陸国風土記」に現れた「行政制度」の変遷との関連においてー  札幌市 阿部周一
○磐井の冤罪 III  川西市 正木 裕
○倭人伝の音韻は南朝系呉音 ー内倉氏との「論争」を終えてー  京都市 古賀達也
○-独楽の記紀- 記紀にみる「阿布美と淡海」  大阪市 西井健一郎
○遺跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○2012年度 会費納入のお願い
○「古田史学会報」原稿募集


第402話 2012/04/07

『真実の東北王朝』復刻

 ミネルヴァ書房から古田武彦古代史コレクションとして『真実の東北王朝』が復刻されました。「洛中洛外日記」第390話でもふれましたが、『真実の東北王朝』は大変思い出深い一冊です。
 今回の復刻版には、新たに和田家文書のカラー写真が掲載されており、虫食いだらけの和田家文書を見ることができ、戦後偽作説がいかに荒唐無稽なものか、読者にも実感できることでしょう。
 また巻末資料として、田中巌さん(東京古田会会員)の論稿「多賀城碑の里程等について」が収録されており、同書で示された古田説とは異なる説が展開されています。古田先生が自著の復刻版にこうした他者の論稿を収録されることは珍しいことです。しかも、自説と異なる内容ですから尚更です。それだけ田中さんの論稿が優れていることと、自説と異なっていても紹介するという古田先生の学問的度量の広さを感じます。
 『真実の東北王朝』は古田史学の多元史観における、東北王朝という新概念が提起された記念すべき一冊です。ともすると多元史観を九州王朝と大和朝廷との関係のみで理解される論者も見受けられますが、それは多元史観という学説の矮小化にもつながりかねませんので注意が必要です。そうした意味でも、『真実の東北王朝』は学問的に貴重な意義を持っていますので、まだ読んでおられない方には、この復刻版は時宜にかなっており必読です。


第401話 2012/04/03

Youtubeに古田先生の動画掲載

 「古田史学の会」総務の大下隆司さんから古田先生のラジオ放送の様子がYoutubeに掲載されているとの連絡が入りましたので、ご紹介します。
 昨年、西宮のローカルFM局「さくらFM」で12回に分けて古田先生の「日本の本当の歴史」の収録が行われ、順次放送されていますが、ようやく10回分 まで放送がおわり、その収録風景がYoutubeに掲載されました。タイトルは次の通りです。

 “伊藤恭と輝く瞳ラジオ~日本の本当の歴史第1回「北と南の潮流」”
Youtubeで「古田武彦」を入力すると第1回~第10回までの分が出てきます。第11回目と第12回目は4月に放送され、放送が終わったら順次掲載される予定です。

「日本の本当の歴史」

1, 「北と南の潮流」
2, 「磯を求めて」
3, 「二倍年歴」
4, 「俾弥呼の実像(その1)」
5, 「俾弥呼の実像(その2)」
6, 「俾弥呼の実像(その3)」
7 , 「崇神天皇の時代」
8 , 「倭の五王と磯城宮」
9 , 「東北王朝」
10, 「日出ずる処の天子」
11,「九州年号」
12, 「”大化の改新”の虚実」

是非見て下さい。


第400話 2012/04/02

『古代に真実を求めて』15集発刊

 「古田史学の会」の会員論集『古代に真実を求めて』15集が明石書店より発刊されました(2200 円+税)。2011年度賛助会員には一冊進呈します(発送作業に時間がかかりますので、しばらくお待ちください)。
 掲載論文は次の通りです。古田先生の講演録・論文が三編収録されており、最新の古田先生の研究動向がよくわかります。

○特別掲載
三国志全体序文の発見 –「古田史学の会」新年賀詞交換会  古田武彦
九州王朝新発見の現在 –久留米大学公開講座 古田講演  古田武彦
九州王朝終末期の史料批判 –白鳳年号をめぐって  古田武彦

○研究論文
東北水稲稲作の北方ルート伝播説の強化 佐々木広堂
九州王朝鎮魂の寺 –法隆寺天平八年二月二二日法会の真実  古賀達也
不破道を塞げ 五 –古人は白村江の勇将の主君、吉野山・瀬田・山前は妙見を祀る 秀島哲雄
九州年号の別系列(法興・聖徳・始哭)について 正木 裕
「筑紫なる飛鳥宮」を探る 正木 裕
「帯方郡」の所在地 –倭人伝の記述する「帯方」の探求 野田利郎
長屋王のタタリ 水野孝夫

○付録ーー会則/原稿募集要項/他
古田史学の会・会則
「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
第十六集投稿募集要項/古田史学の会 会員募集
編集後記


第399話 2012/04/01

本居宣長の門人たち

わたしが本居宣長に興味を抱いた理由は、その学問的業績だけではなく、江戸時代には在野の研究者であった宣長やその学説 が、明治維新後には新政府の学問の主流となったという歴史事実にありました。わたしたち古田学派が将来の日本において歴史学の主流となるために、何をしな ければならないのか、何が必要なのかを考えるための参考として、本居宣長に興味を抱いたのです。
今回、本居宣長記念館を訪問し、同記念館編集の『本居宣長の不思議』という本を購入しました。本居宣長の人生や学問がわかりやすくまとめられており、初 心者にも読みやすい良本です。この本の最後の方に宣長の門人一覧と現在の県別の門人数が記されています。三重県の220人を筆頭に北は北海道から南は宮崎 県までのべ513人の分布図と氏名が記されており、宣長の名声が全国に広がっていたことがわかります。
「古田史学の会」の会員数も約500名ですから、偶然とは言え不思議な縁を感じます。もちろん、江戸時代と現代では交通手段も情報量や伝達速度も比較になりませんが、在野にある古田学派にとって励まされるものではないでしょうか。
この国で古田史学・多元史観がどのように認められ受け入れられるのかは、今のわたしにはわかりませんが、体制や世俗に迎合するのではなく、真実と学問が 持つ力を信じて、研究活動と宣伝顕彰を進めていきます。そして、百年後には「古田武彦記念館」が作られるよう頑張っていきたいと思っています。