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第783話 2014/09/12

最古の「銅鐸出土」記録

 9月10日のテレビニュースで、岡山県総社市の集落跡の神明遺跡から弥生時代中期(紀元前2世紀頃)の銅鐸1個が出土したと報道されていました。同集落遺跡は弥生後期(紀元前後頃)とのことですから、その銅鐸は造られてから200年ほどして埋納されたことになります。古田説によって考えると、神武東侵により侵攻された銅鐸圏の人々によって埋納されたのかもしれません。学術発掘による出土ですから今後の調査検討が待たれます。
 銅鐸の出土記録としては、古くは『続日本紀』の和銅六年条(713)に大倭国宇太郡から出土した銅鐸が献上された記事が見えます。この時代、銅鐸は献上品とされるほど珍しく貴重なものだったことがうかがえます。
 更に古くは『扶桑略記』の天智七年(668)正月条に滋賀県の崇福寺建立時に高さ五尺五寸の「宝鐸」が出土したという記事があり、この記事をもって最古の「銅鐸出土」記録とする見解もあります。ちなみに『扶桑略記』にも『続日本紀』和銅六年条の銅鐸出土献上記事が記載されています。
 『扶桑略記』の銅鐸出土記事が歴史事実とすれば、それでは何故その記事が『日本書紀』に収録されなかったのかという疑問が残されます。この点、わたしが提起してきた「九州王朝の近江遷都」説に立てば、九州王朝による崇福寺建立と銅鐸(宝鐸)出土事件ということになり、大津市から出土した穴太廃寺や南滋賀廃寺建立記事と同様に、『日本書紀』には採用されなかったという理屈で説明できるのではないでしょうか。そして、もしこの推定が正しければ、『扶桑略記』 には九州王朝系史料に基づく記事が他にもあるかもしれません。今後の楽しみな研究テーマです。