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第788話 2014/09/21

『論語』の二倍年暦

 昨日の関西例会で服部静尚さん(古田史学の会・『古代に真実を求めて』編集責任者)と古代中国の二倍年暦についての論争をして、改めてわたしの論拠を丁寧に説明する必要を感じました。
 わたしは周代の史料に見える二倍年暦による年齢記事について、ただ単に高齢だから二倍年暦だと理解したわけでなく、その文脈や内容からして二倍年暦と考えざるを得ないという例を根拠としました。単に高齢だというだけでは、古代といえども超高齢者がいたかもしれないという反論が予想されたので、その点、論証の根拠とする記事は慎重に選ぶことにしたのです。
 たとえば『論語』からの例としては、「子罕第九」にある次の記事です。

 「子曰く、後生畏る可(べ)し。いづくんぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(こ)れ亦畏るるに足らざるのみ。」

 「後生畏るべし」の出典としても有名な孔子の言葉です。その意味するところは、40歳50歳になっても有名になれなければ、たいした人間ではなく畏れることはない、ということです。しかし、これは当時(紀元前6~5世紀頃)としては大変奇妙な発言です。
 『三国志』の時代(3世紀)でも、『三国志』に記されている寿命は平均年齢50歳ほどで、多くは40代50代で亡くなっています。それよりも700年も昔の中国人の寿命は更に短かったことはあっても、それよりも長いとは考えにくく、従って、孔子のこの発言が一倍年暦であれば、多くの人が物故する年齢(40歳50歳)になって有名にならなければ畏れるに足らないという主張はナンセンスです。それでは遅すぎます。
 しかし、これが二倍年暦であれば20歳25歳ということになり、「若者」が頭角を現し、世に知られ始める年齢として、とても自然な主張となります。すなわち、孔子の時代は二倍年暦が使用されていたと考えざるを得ない例として、わたしはこの記事を取り上げました。