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第802話 2014/10/15

「川原寺」銘土器

の思想史的考察

 明日香村の「飛鳥京」苑地遺構から出土した土器(坏・つき)に記された銘文が話題になっています。新聞記事などによると次のような文が記されています。

 「川原寺坏莫取若取事有者??相而和豆良皮牟毛乃叙(以下略)」

 和風漢文と万葉仮名を併用した文章で、インターネット掲載写真を見たところ、杯の外側にぐるりと廻るように彫られています。文意は「川原寺の杯を取るなかれ、もし取ることあれば、患(わずら)はんものぞ(和豆良皮牟毛乃叙)~」という趣旨で、墨書ではなく、土器が焼かれる前に彫り込まれたようですから、土器職人かその関係者により記されたものと思われます。ということは、当時(7世紀後半頃か)の土器職人は「漢文」と万葉仮名による読み書きができたわけですから、かなりの教養人であることがうかがわれます。
 川原寺の杯を盗るなという警告文ですから、当時も土器を盗む者がいたこと、そして盗む者も「漢文」と万葉仮名の警告文を理解できる程度の教養の持ち主であったことになります。
 恐らくこの「警告文」はこの土器1個だけのためではなく、川原寺に納品する多数の土器を代表して記されたのではないでしょうか。盗難抑止用に全ての土器にこうした不吉な「警告文」を記したら、それら全ての土器がお寺での実用に耐えられませんから、納品に当たり、一番見えやすい場所に梱包された「警告文付き土器」という性格のように思われます。従って、この1個はお寺での実用品とはならず、どういうわけか苑地で使用され、廃棄されたのではないかと推測しています。
 この土器の銘文は当時の土器職人や泥棒の識字力がうかがえるという意味において貴重ですが、わたしが最も注目したのが当時の飛鳥の人々の思想性についてでした。盗難抑止の「警告」として、飛鳥の権力者による「律令」などに基づく法的罰則ではなく、川原寺の宗教的権威や「わずらい」という精神的「脅迫」に頼っているという事実です。当時の飛鳥の人々にとっては「国家権力」よりも宗教的権威・畏れの方が影響力が強かったこと(効果的)を前提とする「警告文」ではないでしょうか。この点、日本思想史学の観点からも貴重な土器なのです。
 さて、そうなると「飛鳥京」苑地で川原寺から持ち出されたこの土器を使用した人は、川原寺の宗教的権威を畏れなかったのでしょうか。わたしの想像では、川原寺での使用をもともと前提としていない「警告」用のこの土器を川原寺からもらい受けたのではないでしょうか。そうでなければ、「警告文」付きの「わず らう」かもしれないこの土器を、他者の目をはばからずに使用することなどできなかったと思うのです。貴族の集う苑地に不吉な「警告文」付きの杯を使用するのですから、川原寺から盗んだのではなく、正式にもらい受けたと自他共に認められていたのではないかと思います。
 以上、「川原寺」銘土器について考察してきましたが、わたしはまだ実物を見ていませんから、この目で見たうえで改めて見解を述べたいと思います。現時点ではわたしの作業仮説(思いつき)にすぎないと、ご理解ください。実物を見ることができれば、更に多くの知見や理解が得られると思います。楽しみです。