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第924話 2015/04/16

『二中歴』九州年号 校訂跡の証言

 昨日、出張で加東市から香川県に向かう途中、サービスエリア(淡路南SA)で休憩していたとき、『二中歴』「年代歴」所収の九州年号に見える校訂跡が重要な問題を示していることに気づきました。それは「兄弟六年 戊寅」(558年)の「六」の字の右に記された「一イ」という傍書(縦書き)です。
 この「一イ」という傍書の意味は、異(イ)本によれば「六」の字は「一」とある、という意味です。他の九州年号史料によれば「兄弟」という九州年号は元年だけで、翌年は「蔵和」と改元されています。このことは『二中歴』「年代歴」自身からも明らかで、この「兄弟六年 戊寅」という文の意味は「兄弟」という年号は六年間続き、その元年干支は戊寅(558年)であるということです。ところが、「兄弟」の次の年号「蔵和」は「蔵和五年 己卯」とあり、元年干支「己卯」は「戊寅」の翌年の559年ですから、「兄弟」は元年しかないことがわかります。従って、「兄弟六年」というのは誤りで、正しくは「兄弟元年」とあるべきなのです。
 それでは何故「六年」と書かれたのでしょうか。これは単純な誤写によるものと思われます。すなわち「元年」の「元」の字を「六」と読み間違えた書写者がいたのです。「元」と「六」は字形が似ていますから、わたしは同様の誤写を他の史料でも見た記憶があります。そこで、「年代歴」部分を書写した人がそのことに気づき、他の九州年号史料(異本)により校訂し、「六」の字の右に「一イ」と傍書したのです。
 このように「一イ」という傍書が直接意味するところは、わたしは『二中歴』研究の当初から気づいていましたが、実はこの傍書が重要な問題の証拠・証言になるという論理性に、昨日気づいたのです。それは次のようことです。箇条書きします。

(1)「年代歴」に示された九州年号史料とは別の九州年号史料が、その当時(平安時代以前)、存在していた。だから比較校訂できた。
(2)「年代歴」の校訂跡はここだけなので、校訂時に参照した九州年号史料との異同が「兄弟」の他にはなかったと考えられる。
(3)『二中歴』タイプとは異なる年号立ての九州年号群史料がある(鎌倉時代以降成立の史料)。たとえば「聖徳」「大長」があり、「継躰」「朱鳥」が無い一群である。このタイプの九州年号群史料は、この校訂を行った時には存在していなかったことになる。もし存在していたのなら、校訂者はそれらとの差ついても校訂の傍書をしたはずだから。
(4)従って、『二中歴』「年代歴」の示す九州年号が現存九州年号群史料としては最も成立が古く、かつ原型に近いと考えられる。

 以上の論理性が成立することに、わたしは気づいたのです。