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第930話 2015/04/22

『二中歴』「人代歴」の建元記事

 九州年号群史料として最も優れている『二中歴』(鎌倉時代初頭の成立)には、九州年号が記されている「年代歴」が第二冊に収録されています。『二中歴』の最初である第一冊冒頭には「神代歴」があり、以下「人代歴」と続きます。今回、ご紹介するのは「人代歴」にある「建元記事」についてです。
 ご存知のように、年号のことを記した「年代歴」では「継躰」から始まる九州年号が「大化」まで記され、その後、近畿天皇家の「大宝」年号へと続く編成となっています。従って、九州年号の「継躰」が最初の年号という認識で編纂されています。これとは別に、神武天皇を先頭にして近畿天皇家の歴代天皇名が記されている「人代歴」には、次のような記事があります。

「継躰二十五 應神五世孫 此時年号始」

 この記事は「継躰天皇の在位は25年であり、応神天皇の五世の子孫である。このとき年号が始まる。」という意味ですが、「年代歴」と同様に、「人代歴」も九州年号が継躰天皇の時に始まった、すなわち建元されたという認識で編纂されているのです。ちなみに、『続日本紀』で「大宝」を建元したと記されている文武天皇については、「人代歴」に次のようにあります。

「文武治十一 天武太子 持統南宮 大寶三 慶雲四」

 意味するところは、「文武天皇の治世は11年 天武天皇の太子であり、持統天皇の南宮(皇太子か?)。大宝は3年間、慶雲は4年間」というもので、ここで初めて近畿天皇家の年号「大宝」「慶雲」が現れ、以下、歴代天皇名とその年号が記されます。このように『続日本紀』で「建元」とされた「大宝」を文武天皇の細注に記してはいるものの、「建元」や「初めて」といった注記はありません。
 このように、『二中歴』「人代歴」も九州年号が最初の年号であるという認識で編纂されていることがわかります。他方、第二冊に収録されている「都督歴」冒頭には「孝徳天皇大化五年三月」という記事が見え、『日本書紀』孝徳紀の「大化」年号が記されています。このように、『二中歴』は年号に関して異なった認識を持つ複数の編者により記されたという史料性格を持つことがわかります。従って、史料批判は少なくとも個別の「歴」毎に行う必要があります。
 この「人代歴」編者の認識は、我が国における「建元」(最初の年号)は九州年号の「継躰」であるということであり、このことから少なくとも鎌倉時代以前において、九州年号が最初の年号であり、実在していたとする認識が『二中歴』を読むようなインテリや官僚にとって「常識」であったことがうかがえます。九州年号が鎌倉時代以降に僧侶により偽作されたという九州年号偽作説が全く史料事実に反した、論証抜きの憶説であったことは明らかです。従って、九州年号偽作説は非学問的と言わざるを得ないのです。