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第931話 2015/04/23

『二中歴』「年代歴」の武烈即位記事

 今朝の京都は快晴です。比叡山や大文字山は春霞でうっすらとしており、鴨川端のしだれ桜並木はすっかり葉桜に衣替えです。満開の桜や紅葉の京都、雪化粧の京都も美しいのですが、このような季節の変わり目の京都も風情があり、わたしは好きです。

 昨日に続き、『二中歴』がテーマです。『二中歴』所収「年代歴」に見える九州年号が最も原型に近いと判断されている理由の一つに、その九州年号が近畿天皇家の年号や記事とは別に記されており、各九州年号の下に付記された細注が九州王朝系記事と理解できることがあります。そして成立年代が他の九州年号群史料よりも古い(鎌倉初期)ことなどです。
 ところが、その細注に一見して近畿天皇家の天皇名と思われる記事があり、以前から不審に思っていました。次の記事です。

「善記四年 元壬寅同三年放誰(※)成始文 善記以前武烈即位」
 ※「放誰」の二字には草冠があります。

 この意味するところは、「九州年号の善記は4年間続き、元年干支は壬寅(522年)。善記3年に放誰が始めて文を成す。 善記以前に武烈が即位。」というものですが、「放誰が始めて文を成す」の意味はまだわかりません。注目されるのが「善記以前に武烈が即位」という記事です。普通に考えれば、近畿天皇家の武烈天皇が善記年間以前に即位したということですが、武烈の在位年は『日本書紀』によれば、499〜506年ですから、正確に表現すれば「善記以前」というよりも「継躰(九州年号、517〜521年)以前」とされるべきでしょう。しかも、なぜ武烈天皇の即位年に関する記事が細注に記されたのか、その理由もよくわかりません。そもそも、「年代歴」細注は近畿天皇家ではなく九州王朝系記事が記されていると考えられますから、ここだけ「武烈」という『日本書紀』成立以後に付けられた漢風諡号がなぜ存在するのかという合理的説明も困難です。
 わたしが十数年前に関西例会で発表したことですが、この「武烈即位」というのは近畿天皇家の武烈天皇ではなく、九州王朝にいた「武烈」という倭王の名前ではないかと考えています。『宋書』倭国伝などで明らかなように、この時期の九州王朝の倭王は中国風一字名称も名乗っていますから、この「武烈」という二字名称は不自然です。従って、この「武烈」というのは、倭王武と倭王烈の二人のことではないでしょうか。倭王武は『宋書』に「倭の五王」の最後の一人として見えますから、その次代の倭王が一字名称として烈を名乗っていたというアイデア(思いつき)です。
 この作業仮説(思いつき)は他に傍証がなく、「年代歴」細注は九州王朝系の記事という一点の論理性を突き詰めた結果ですので、仮説として提起することさえ怖いくらいです。今のところ、「古賀の思いつき」程度に受け止めておいて下さい。

 今朝は京阪電車で出町柳駅から大阪の淀屋橋駅に向かっています。もうすぐ到着です。大阪も好天で、出張日和の一日となりそうです。